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近江国 八幡山城 [ HACHIMANYAMA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナハチマンヤマジョウ
別称八幡城、近江八幡城
スタンプ設置場所近江鉄道八幡山ロープウェイ山上駅 09:00-17:00
曲輪配置連郭式
城郭種類山城
築城者豊臣秀次
築城年1585年
廃城年1595年
主な城主羽柴氏、京極氏
指定史跡未指定
標高284.6 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構あり
現状金生稲荷大明神
駐車場八幡公園駐車場
最寄り駅JR 近江八幡駅


概要・現地案内板

1566年、豊臣秀吉のおいとして出生。
1585年、43万石の領主になり、八幡山城を築き、城下町を開く。
1590年、尾張・清州城に転封。
1591年、秀吉隠居後、秀吉の後継者として豊臣姓を名乗り、関白に任官。
1595年、謀反を理由に関白職を奪われ高野山で切腹。
八幡山城は廃城となる。

※現地案内板より


城犬のおいど 攻城記録


八幡山ロープウェー


ロープウェーで山頂(271.9m)に登り、歴史に彩られた大パノラマを満喫。眼下には基盤目状に造られた城下町とそれを取り巻く水郷、北側に広がる琵琶湖と対岸の比良の山々少し東には安土山、西には近江富士…。山頂にはかつて、戦国大名で関白となった豊臣秀次が築いた八幡城があった。現在は秀次の菩提寺「瑞龍寺」が置かれている。
※現地案内板より

山頂駅


スタンプ設置場所


続日本100名城スタンプ設置場所

お願い地蔵尊


山門


村雲御所瑞龍寺門跡


瑞龍寺は八幡山本丸跡の石垣の上に建つ。日蓮宗唯一の門跡寺院で、秀次の母で秀吉の姉の日秀尼が文禄5年(1596)、京都・嵯峨野の村雲に創建したため、村雲御所とも呼ばれる。寺は、天明8年(1788)に全焼したが、約30年後に再興され、昭和36~38年に京都西陣から秀次ゆかりのこの地に、山門や本堂などが移築されました。

秀次を弔う線香の香りが漂う本堂は、屋根に菊の御紋が入った瓦が葺かれ、門跡寺院としての威厳を示している。歴代門跡が客と対した拝謁の間には、金箔地に鳳凰が描かれた狩野派の作とされるふすま絵もあり、格式の高さをうかがわせる。
※現地案内板より

開山塔


社務所


村雲御所(拝観料300円)


このお寺は、秀次公のお城、八幡山城本丸跡に建つ日蓮宗では唯一の門跡寺院(皇族・公家が住職を務める寺院)です。文禄4(1595)年、秀次公が高野山で非業の最期を遂げられ、弟秀勝も秀吉の朝鮮出兵で戦死したため、生母智の方(秀吉の姉)は我が子達の菩提を弔うために出家して瑞龍院日秀尼となられ、後陽成天皇の代の勅願所となったお寺です。

もとは京都の村雲の地にあったので村雲御所と呼ばれ、昭和36年に秀次公ゆかりのこの地に移築されました。
※現地説明板より

本堂正面鬼瓦


関白豊臣秀次卿銅像原型


仏間


北の丸


ハート型モニュメント


西の丸


二の丸


展望館


白雲橋


近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区

八幡堀


此の堀割は天正13年(西暦1585)豊臣秀次が八幡城を築城・それと同時に構築されたもので東は北之庄の沢より西は南津田長命寺湖岸近く外湖を結ぶ全長約5㎞・その全体を「八幡浦」と称した。今日では八幡堀といわれているが、八幡の城下町と琵琶湖を結ぶ一大運河であり大津・堅田とならんで琵琶湖の三大港の一つにかぞえられていた。

湖上を往来する北陸と関西の物資を満載したすべての船はこの八幡浦に寄港し大いに賑わい、今も残る堀沿いの土蔵・倉庫群は往時の繁栄を物語っており、その重要性は近江商人の活躍を絶対的なものにしたのである。この堀割こそが、近江商人の代表八幡商人を生み出した源流である。
※現地看板より

2020/1最終訪問


城郭周辺地図

滋賀県近江八幡市宮内町

八幡公園駐車場のGoogleMAP


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