概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小松城(こまつじょう)は、神奈川県相模原市緑区川尻(旧相模国津久井郡川尻村)の高野山真言宗宝泉寺背後にそびえる標高約217メートル(比高約50メートル)の山稜上に所在する中世山城跡である。武蔵と相模の境目付近に位置し、東に片倉城、南西に津久井城を望む軍事要衝に占地する。山頂の主郭(本丸)には小祠が祀られ、背後に櫓台状土塁を備える。東尾根上には連続する3本の堀切と竪堀によって区画された小郭群が連郭式に連なり、斜面の横移動を厳重に遮断する北条流の築城技巧が良好に残存する。山麓の宝泉寺境内周辺は城主居館跡と推定され、根小屋と詰の城が一体化した典型的な中世山城の構成をとどめる。南側は墓地造成等で一部改変されたが、尾根筋や北斜面の土木遺構は極めて良好に保全されている。
歴史的役割
『皇国地誌残稿』によれば建久年間(1190〜1198年)に永井(長井)某が築いたと伝わり、室町時代には『太平記』にも登場する片倉城主・長井(永井)大膳大夫広秀が築城・修築した出城とされる。戦国時代には小田原北条氏の勢力下に組み込まれ、津久井城城代・内藤氏(内藤綱秀ら)の支城網として機能した。八王子城・片倉城方面と津久井城・小田原方面を結ぶ甲州古道・境目往還を監視・遮断し、武田氏の侵攻に備える軍事中継拠点・狼煙連絡路の役割を担った。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、本城である津久井城や八王子城の落城とともに運命を共にして廃城となったと推測される。近隣には「評議原」「自害谷戸」等の合戦伝承地名が残る。
見どころ
主郭東尾根に連続して穿たれた3条の明瞭な堀切および斜面へ落ちる竪堀群、主郭背後に高く盛られた櫓台状土塁、山腹を取り巻く帯曲輪および急峻に削り落とされた中世山城の切岸斜面、山麓居館跡と伝わる宝泉寺の山門脇に堂々と建つ「小松城址」石碑および登城口の解説案内板、ハイキングコースとして整備された城山尾根道から津久井湖・城山方面を見晴らす境目城郭ならではの要害展望
ご当地グルメ
相模原炭火焼き豚丼、津久井在来大豆味噌料理、相模原ラーメン、相模川・津久井鮎料理、高尾・津久井そば
概要・現地案内板
宝泉寺の裏山は山城の跡で、城主は永井大膳太夫、片倉城(八王子市)の出城であったと古くから伝えられています。
山城の中心は丘陵の尾根にあって、前面の小松川、背後の穴川が自然の水堀を形成しています。
空堀の規模などから室町時代から戦国時代初期の山城で、現在、墓地造成により南にのびる遺構は大半が消滅しています。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
宝泉寺

城址碑
この城は西暦1300年代長井大膳太夫広秀という武将が片倉城の出城として築いたと伝えられる。これより先当地に宝泉寺開創されていたので俗に宝泉寺城ともいわれていた。時を経て戦国時代に小田原北条氏に属し津久井城より北に2キロ片倉城より西に7キロの地点で両城のつなぎの城として甲斐の武田氏侵攻に備えたと見られ現在櫓台空堀本丸跡などの遺構がある。

困みにこの付近には城に関わりがあるとみられる堀内 評議原 自害谷戸 下馬などの地名が残っている。
※現地城址碑より

松風都井沢線

山道入口(松風都井沢線)


山道入口(宝泉寺内)



主郭




櫓台



案内看板

金刀比羅宮参道



空堀





2025/4最終訪問
