城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | コイブチジョウ |
| 別称 | 堀の内館、鯉渕城 |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | - |
| 城郭種類 | 平城 |
| 築城者 | 江戸氏 |
| 築城年 | 1387年 |
| 廃城年 | 不明 |
| 主な城主 | 鯉淵氏 |
| 指定史跡 | 不明または未指定 |
| 標高 | 30.4 m |
| 城址碑 | なし |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 宅地 |
| 駐車場 | 付近に駐車場なし |
| 最寄り駅 | JR 内原駅 |

概要・現地案内板
鯉淵城は、室町将軍足利義満が江戸通高の功績を称え、通高の子である江戸通景に河和田、鯉淵、赤尾関の地を与えたことで、通高の二男通重が鯉淵城を築き、鯉淵氏を名乗ったのが始まりとされています。
天正18年(1590年)、佐竹氏による水戸城攻撃により、鯉淵城を含む周辺の支城は廃城となりました。
現在、鯉淵城の遺構は宅地化によりほとんど残っていませんが、国の重要文化財に指定されている中崎家住宅の裏に、方形区画の土塁と空堀が確認できます。
また、鯉淵郵便局の北東にある根小屋集落の中にも、東西に伸びた空堀と土塁の遺構があります。
※これらの遺構は私有地にあるため、見学の際は無断で立ち入らないよう注意が必要です。
城犬のおいど 攻城記録
鹿島神社




中崎家住宅
中崎家は中世以来この付近に住んだ地侍の後裔と伝えられ、現在の敷地は城跡にあたり、西北に堀を残している。堀の内の屋号で呼ばれている。桃山時代頃の兵農分離によって、農業として土着し代々庄屋を受け継いできた。初代は藤原左京といい、天文5年(1536)に生まれ元和5年(1619)84歳で亡くなっており、以下代々の位牌が当家に保存されており、現在の当主は十八代目にあたる。

建物は家伝に「元禄元年(1688)に建立された」と伝えられており、明治年間の内部改造の際、切除した柱の柄に墨書があったという。昭和四十九年に行われた解体修理の際に、明治26年の改造時の墨書が発見され、この文面に元禄元年の建立が記録されていることから切除した柱の墨書を書き添えたものと思われる。現在は直屋(すぐや)であるがであるが、前記の調査によって別棟造り(べつとうづくり)であったことが明らかとなった。

この形式は居屋部分である主屋と、土間部分の二つの建物が接して建てられ、平面上は曲屋(まがりや)に似た間取りになる。両方の境に間仕切りはなく、軒を接する部分に太い丸太くり抜きの樋がかけられているのが通例であり、この形式は千葉県から福島県に至る表日本に見られるもので、茨城県ではほぼ全域にわたって存在していた。当初この形式で建てられた建物の土間部分は、江戸時代の末期頃、取りこわされ残された主屋部分が直屋の形をした現在の建物である。
※現地看板より

2025/8最終訪問
城郭周辺地図
付近に駐車場なし
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