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相模国 長尾城 [ NAGAO CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナナガオジョウ
別称長尾砦、長尾台の塁
スタンプ設置場所
曲輪配置
城郭種類平山城
築城者長尾氏
築城年平安時代
廃城年1247年
主な城主長尾氏
指定史跡不明または未指定
標高33.3 m
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構なし
現状私有地
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅JR 大船駅


概要・現地案内板

長尾砦址は戦国時代に小田原北条氏が築いた玉縄城の出城、長尾砦の址いわれる。
しかし長尾の名は古く鎌倉以前にまでさかのぼる。
この地に鎌倉武士長尾氏の館があったといい、昭和55年、農地整備に伴い横浜市埋蔵文化財調査委員会の発掘調査が行われ縄文時代から 中世にかけての遺物が発見されているほか、現在まで、この付近から五輪塔、板碑、陶磁器等が出土している。
長尾氏は平安時代の武将で、源義家に従って後3年の役で活躍した鎌倉武士の祖ともいえる鎌倉権五郎景政の子孫がこの地に住んで 長尾次郎と名のったと伝え、これが鎌倉長尾氏の始祖だという。
この地の御霊神社(別名権五郎神社、本社は鎌倉坂ノ下)は景政を祭神とするから、長尾氏の祀った祖先神である。
次郎の子孫という長尾定景は、治承4年(1180年)8月の石橋山の合戦で源頼朝を護るため 俣野五郎景久とくみ討ちをしていた佐那田与一義忠を討ちとった人物だと源平盛衰記にある。
また、建保7年(1219年)1月、 3代将軍源実朝を殺害した別当公暁を討った人でもある。
その子景茂は宝治元年(1247年)6月の三浦泰村の乱(宝治の乱)で泰村方につき、泰村が敗れたので北条時頼軍に襲われ、景茂父子は源頼朝の建てたという法華堂で自刃した。
ここに鎌倉長尾氏は滅亡したのだが、室町時代にその一族、長尾景仲が 活躍したし、戦国時代に長尾顕方等の一族の屋敷があったというから、その後も一族の子孫達がこの旧長尾郷一帯に定着していたと 考えられる。
戦国大名で有名な上杉謙信も、越後国守護代の長尾氏で、長尾景虎といい、後に関東管領上杉氏の末裔を迎えてその養子となり 上杉氏を名乗ったのだから、その先は鎌倉長尾氏である。
その時代、小田原北条氏が関東一円に勢力を拡大する中で、長尾顕方等の一族も その勢力下に組み込まれ、玉縄城主北条綱成の領地とされ、長尾氏の屋敷のあった長尾台に長尾砦が築かれて、柏尾川流域一帯を 掌握する根拠地となり、三浦・武蔵方面への支えとしたのである。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


案内看板


2015/11最終訪問


城郭周辺地図

神奈川県横浜市栄区長尾台町

付近に駐車場なし


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