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概要

🏯
築城年
1622年
✕
廃城年
1871年
📍
所在地
熊本県八代市松江城町
🏛️
別名
松江城、白鷺城、白石城、不夜城、不知火城
🪨
城址碑
あり
🪧
案内板
あり
🎖️
名城指定
続100名城
基本情報
種別 近世城郭 縄張 輪郭式平城
城主 加藤氏、松井氏 天守 連結式(非現存)
主な遺構 天守台、石垣、堀、北の丸跡、城壕、城壁、本丸大書院、庭園 現状 八代宮、八代城跡公園
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熊本県八代市松江城町

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概要

八代城(松江城)は球磨川下流のデルタ地帯に位置する平城である。元和5年(1619年)の地震で麦島城が崩壊したため、加藤忠広の家老・加藤正方が幕府の許可を得て松江の地に新城を着工し、元和8年(1622年)に完成した。本丸を中心に二の丸、三の丸、出丸を配し、周囲を幅広の水堀と堅固な石垣で囲繞する。石垣には地元の石灰岩が用いられ、大小天守台や桝形虎口が明瞭に残る。本丸内には加藤神社(現・八代宮)が鎮座し、発掘調査では本丸御殿跡の礎石建物群や井戸跡などが確認され、良好な遺存状態を誇る。

歴史的役割

一国一城令が敷かれた江戸幕府体制下において、薩摩藩・島津氏への抑えという軍事的重要性から、熊本藩領内に例外として存続が認められた極めて稀少な城郭である。加藤氏改易後は細川忠利が肥後に入府し、父・細川忠興(三斎)が晩年の隠居城として入城した。正保3年(1646年)三斎没後は筆頭家老の松井康之(松井家)が城代として3万石を領して治め、明治維新まで松井氏が代々在城して南肥後の政治・軍事・経済の中枢拠点として機能した。

ご当地グルメ

🍴 八代亜蘇美の鮎料理、晩白柚スイーツ、トマトすき焼き、ちくわサラダ、八代ちゃんぽん

アクセス・探訪情報

  • 🚗 駐車場: あり(八代城跡駐車場・無料)
  • 🛣️ 車でのアクセス: 九州自動車道 八代ICから国道3号経由で車で約15分
  • 🚃 最寄り駅 / バス: JR鹿児島本線八代駅から産交バス市役所前方面行きで約10分「八代市役所前」下車徒歩約1分
  • ⏱️ 見学所要時間: 60分

おいど攻城記録

三階櫓跡


本丸の鬼門にあたる北東角に設けられていた櫓です。外から見ると三階建ての櫓で、1階約9m×10.8m、2階5.4m四方、3階5.4m四方の櫓でした。
※現地説明版より

高麗門跡・欄干橋跡


高麗門は本丸の正面にあたる表桝形門の一の門です。桝形門とは四方を石垣で囲み、敵の直進を避けるとともに、敵の側面及び背面から攻撃するために喰い違う二か所に門を設けたものです。一の門には幅二間一尺の高麗門を設けていました。

この高麗門は、現在本町一丁目の本成寺に移されています。二の門は頬当御門と呼ばれて東西九間南北三間を測り、石垣上に設けられていた櫓門でした。
また、欄干橋は本来木造の太鼓橋で、八代城築城年を示す元和八年(一六二二)銘の擬宝珠が残されています。
※現地標柱より

表枡形虎口


合坂


小天守跡


小天守は、東西九間、南北四間半を測る外観三層内観に観(地階部分を含む)でした。大天守とは東西四間・南北八間の渡櫓で結ばれており、当時は大天守の下の平場から石段を登って小天守の地階に入り、渡櫓を通って大天守の地階へと通じていました。
※現地標柱より

大天守の穴蔵


大天守跡


大天守は、東西十間、南北十一間を測る外観五層内観六階(地階部分を含む)でした。屋根の両棟には鯱がのって威容を誇っていましたが、築城から五十三年後の寛文十二年(一六七二)二月十九日の落雷による火事で焼失してしまい、その後再建されることはありませんでした。
※現地標柱より

唐人櫓跡


唐人櫓は大天守の東側に位置し、東西四間・南北三間を測り、本瓦葺で入母屋造りの屋根を持つ平櫓でした。大天守との間に長さ三間の塀が続いていました。また石垣には合坂と呼ばれる「V」字型の階段が設けられています。石垣の石材には「大」という文字や記号などが線刻されたものも残されています。これらは石垣に関係する工人達の記号であると考えられています。
※現地標柱より

月見櫓跡


本丸の南西隅に建つ月見櫓は二階建ての櫓です。一階は染門五門・桁行四間の大きさがあります。屋根は入母屋造りで、本瓦葺です。北側の小天守との間は「石落とし」二箇所を持つ三十八間の長塀があります。また、東側の十二間櫓との間は同じく「石落とし」二箇所を持つ四十六間の長塀で結ばれています。
※現地標柱より 

夫婦松


城址碑


八代宮


1619(元和5)年、地震により麦島城が倒壊すると、城代・加藤正方は当地に城を移し、1622(元和8)年、八代城(松江城)を完成させる。欄干橋の擬宝珠には竣工年の銘が残されている。石垣には八代産の石灰岩を用い、麦島城の石垣も再利用したが、その白さから別名「白鷺城」とも呼ばれる。そもそも麦島城は一国一城令のなか存続を許された城だったが、八代城は新城を許された点で価値がある。

1870(明治3)年に廃城になると城内の建造物は撤去され、1880(明治13)年、ここ本丸は八代宮の境内地となる。本丸には天守台を含む石垣や堀のほか、大書院の枯山水や井戸跡が残る。八代宮の祭神は懐良親王。一の鳥居は旧大手門付近に設置され、参道が徳渕の津より直進する。二の鳥居の次に三間一戸、軒唐破風の四脚門がある。門に回廊と透き塀がつき、神殿を囲む。拝殿は入母屋妻入、向拝つき。本殿は三間社流造で、向拝の奥行きは深い。

いずれの建物もかつては柿葺だったが、現在は銅板葺、妻飾はいのこ叉首、軒が深くプロポーションが美しい。組物などのしのぎは平らで、丸みがなく直線的である。開口部は腰長押または腰貫と内法長押の間に連子窓がつく。官幣社にふさわしい気品あるたたずまいである。
※現地案内板より

八代市相撲場


磨櫓跡


磨櫓は高麗門の南側にあり、東西四間・南北七間を測り、本瓦葺の入母屋造りの屋根を持つ平櫓でした。南側の宝形櫓との間には長さ十六間の総白塗込めの塀が続いていました。
※現地標柱より

三階櫓跡


三階櫓は本丸の北東に位置し、東西六間、南北五間を測る三層三階の隅櫓で、大天守に次ぐ高層櫓です。屋根は本瓦葺の入母屋造りで千鳥破風を持ち、西側の九間櫓との間には長さ二十六間の白塗り籠めの腰高鎧下見板張りの長塀が続いていました。
※現地標柱より

九間櫓跡


九間櫓は本丸の北側中央に位置し、東西九間を測る平櫓です。屋根は本瓦葺の入母屋造りでした。南側の唐人櫓との間には埋御門平櫓が、東側の三階櫓との間には26間にわたって長塀が続いていました。
※現地標柱より

本丸搦手口


北の丸


八代市民俗伝統芸能伝承館 お祭りでんでん館


スタンプ設置場所


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熊本県八代市松江城町

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