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100名城・続100名城 -
別称 竹尾城、上津役城、竹尾山城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 168.5m

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者麻生家延
築城年文明年間(1469~1487年)頃
廃城年天正15年(1587年)
主な城主麻生氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり
※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。

📜 概要

竹ノ尾城(竹尾城)は、北九州市八幡西区大字上上津役・市瀬境界の標高約175メートル(比高約90メートル)の山頂から北西に伸びる尾根上に築かれた中世山城跡である。割子川を挟んで東の市瀬城と対峙し、直方・香月方面と八幡・黒崎を結ぶ長崎街道筋・上津役の要衝を押さえる位置に占地する。南端最高所の主郭を中心に北西へ広大な階段状の連郭が連なり、最大の特徴として主郭南背後および広大な曲輪群の全周を取り巻くように長大な横堀と土塁が極めて良好に巡らされている。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳にも中世山城遺跡として登載されており、筑前北部でも屈指の規模を誇る横堀遺構を現在に伝える。

⚔️ 歴史的役割

室町時代中期の文明年間、花尾城主であった麻生家延が隠居・蟄居して竹ノ尾城へ移住したことに始まると伝えられる。戦国時代には遠賀・八幡一帯に君臨した麻生氏の重要拠点として機能し、天文年間には城主・麻生鎮里が山麓の熊野神社社殿を造営・遷座した記録が残る。割子川流域の市瀬城や帆柱山城、本城の花尾城と緊密に連携し、大友氏や毛利氏、秋月氏など有力大名が対立する筑前東部戦線における防衛網の一翼を担った。天正14〜15年(1586〜1587年)の豊臣秀吉による九州平定に際し、麻生鎮里が島津方に組したため秀吉軍の侵攻を受けて開城・没落し、廃城となった。

👀 見どころ

曲輪群の全周を包囲するように巡らされた長大な横堀(空堀)遺構、主郭南背後を厳重に防備する横堀と切岸、北西尾根に段状に広がる大規模な削平地(曲輪群)、横堀に沿って築かれた土塁痕跡、遠賀平野・黒崎方面を見渡す眺望

🍲 ご当地グルメ

八幡ぎょうざ、北九州ラーメン、小倉焼うどん、戸畑ちゃんぽん、くろがね堅パン


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

筑豊電気鉄道三ヶ森駅または永犬丸駅から徒歩約30分、またはJR黒崎駅から西鉄バス香月方面行き等で約15分「上津役」下車、登山口まで徒歩約10分、主郭まで山道徒歩約15分

車でのアクセス

北九州都市高速4号線 小嶺出入口から国道211号経由で南へ車で約5分、または九州自動車道 八幡ICから約7分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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