100名城・続100名城
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別称
鷹見城、権現山城、鷹見山城
城址碑
なし
案内板
なし
現存遺構
なし
復元遺構
なし
標高
611.1m
概要スペック
種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者麻生氏
築城年南北朝時代
廃城年応安5年(1372年)頃
主な城主麻生氏
指定文化財指定なし
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | なし | ||
| ※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。 | |||
概要
鷹見岳城(鷹見城・権現山城)は、北九州市八幡西区大字市瀬と八幡東区前田の境にそびえる帆柱山系の霊峰・権現山(標高約617メートル、旧称・鷹見山/杉山)山頂部に位置した南北朝時代の山城跡である。皿倉山と並ぶ山系最高峰の一角を占め、洞海湾から遠賀平野、筑前・豊前国境地帯を一望する天然の要塞であった。山頂を中心に主郭や平坦段が配されていたとされるが、第二次世界大戦中に防空軍事拠点として高射砲陣地が設営された際に山頂部が大規模に削平・改変され、さらに戦後はテレビ・無線通信鉄塔などの施設が建設されたため、中世城郭の明確な土木遺構は失われている。山頂直下には鷹見神社奥宮や帆柱権現神社が鎮座し、古くからの山岳修験の霊場としても知られる。
歴史的役割
南北朝期の動乱下、筑前北部を支配した麻生氏らによって帆柱連山の最高所要塞として築かれた。隣接する皿倉山の多良倉城や花尾城と連携し、九州南朝方(宮方・菊池氏・征西将軍府)の防衛網を担った。応安5年/文中元年(1372年)、九州平定を目的に下向した室町幕府の九州探題・今川了俊(貞世)は、大宰府攻略の前段階として帆柱連山への総攻撃を敢行。多良倉城とともに鷹見岳城も今川軍の激しい猛攻を受けて落城した。戦国時代にも麻生氏の詰城や烽火台、監視砦として機能したとされるが、永禄年間の大友氏侵攻や戦国末期の麻生氏没落・近世移行の過程で廃城となった。
見どころ
帆柱山系第2の高さを誇る権現山山頂の要害地形、山頂直下に鎮座する鷹見神社奥宮および帆柱権現山神社の古社、市瀬鷹見神社から続く歴史ある表参道登拝路(行者の森コース)、北九州市街・洞海湾・響灘を望む山頂眺望
ご当地グルメ
八幡ぎょうざ、北九州ラーメン、小倉焼うどん、戸畑ちゃんぽん、くろがね堅パン