100名城・続100名城
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別称
三角山砦、三角山要害、門司三角山城
城址碑
なし
案内板
あり
現存遺構
なし
復元遺構
なし
標高
193.5m
概要スペック
種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者門司氏
築城年南北朝時代
廃城年永禄年間(1558~1570年)頃
主な城主門司氏、大友氏、毛利氏
指定文化財指定なし
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
| ※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。 | |||
概要
三角山城は、北九州市門司区大字門司の門司港南東部にそびえる三角山(標高約194メートル)の山頂および尾根筋に位置する中世山城(砦)跡である。関門海峡最狭部と瀬戸内海・周防灘側の双方を一望に収める峻険な独立山頂に占地し、本城である門司城(古城山)を南東高所から支援・監視する有力な支城・出城砦として機能した。主郭は山頂の岩稜混じりの平坦地に形成され、東西に延びる急峻な尾根筋を堀切で遮断し、斜面部には階段状の腰曲輪や切岸、土塁痕跡が残存する。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳に山城跡として登載されており、現在は市民のハイキング登山道が整備され山頂付近に解説案内板が設置されている。
歴史的役割
南北朝期に関門航路警備を担当した在地武士・門司氏の一族によって築かれたと伝わる。戦国時代後期には大友宗麟と毛利元就が関門海峡の覇権を激しく争った「門司城の戦い」において最重要の軍事拠点となった。永禄元年(1558年)に毛利方の小早川隆景らが門司城を奪取すると、東明寺城や笹尾山城とともに門司城外郭防衛網(門司六城・出砦群)の一翼を担った。永禄4年(1561年)の大友軍による大攻勢では、大友方の重臣・戸次鑑連(立花道雪)らが門司城奪還を狙って布陣する中、毛利軍が険阻な山容を活かして頑強に防衛・撃退した。関門情勢の安定および近世小倉城築城に伴い役目を終え廃城となった。
見どころ
山頂主郭周囲の急峻な天然切岸地形、尾根筋を断ち切る堀切遺構、段状に配された腰曲輪、山頂に設置された解説案内板、関門海峡・巌流島および周防灘を一望する360度の大パノラマ眺望
ご当地グルメ
門司港焼きカレー、門司港ちゃんらー、小倉焼うどん、関門海峡ふぐ料理、戸畑ちゃんぽん
おいど攻城記録
登城口


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