概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・土塁あり・切岸あり | ||
| ※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。 | |||
概要
吉川城(吉川陣城群)は、北九州市小倉南区大字辻三の北九州霊園背後、豊前・筑前国境をなす標高約430〜440メートルの山稜・尾根筋に展開する戦国時代の大規模な陣城群跡である。南側の谷を挟んで対峙する豊前国人・長野氏の本拠である大三岳城・小三岳城(三岳城)を北側の高所から包囲・見下ろす位置に占地する。尾根上に連続して複数の支城・砦(吉川城a〜g、三角城等)が配置されており、各陣城には削平された平坦段(曲輪群)や切岸、土塁、谷を塞ぐ堤(遮断土塁)状遺構などが良好に遺存する。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳にも中世陣城群として登載されており、毛利軍の北九州攻略作戦における実戦的縄張りを留めている。
歴史的役割
永禄11年(1568年)、豊後大友氏の傘下となった豊前の有力国人・長野氏を討伐するため、毛利元就の命を受けて九州へ出陣した吉川元春・小早川隆景らが率いる毛利軍によって築かれた対陣用の包囲陣城(向城)である。三岳城(大三岳城・小三岳城)に籠城する長野三岳氏を圧迫するため、吉川元春率いる吉川勢や小早川勢、益田勢らが尾根筋に陣城群を構築して兵糧攻め・包囲網を敷いた。激しい攻防戦の末に毛利方は長野氏の降伏・開城を勝ち取り、北九州における大友勢力への強力な楔を打ち込んだ。その後、大友方の反攻(立花道雪らの出陣)や毛利軍の中国地方への撤退に伴い、短期間で陣城としての役目を終えて放棄された。
見どころ
大三岳城を包囲する尾根上に連続配置された連郭状の陣城・郭群、主郭(吉川城a)周囲に残る明瞭な切岸および土塁遺構、谷部を遮断する分厚い堤状土塁遺構、長野氏の三岳城群と対峙した実戦的包囲陣の立地景観、企救平野および国境山系を見渡す山稜からの眺望
ご当地グルメ
小倉焼うどん、小倉発祥焼きカレー、門司港ちゃんらー、戸畑ちゃんぽん、ぬかみそだき