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100名城・続100名城 -
別称 吉志城、古志城、寒竹城跡
城址碑 あり
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 67.9m

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者藤原親房
築城年建長7年(1255年)
廃城年戦国時代末期
主な城主門司氏、毛利氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 なし
※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。

📜 概要

寒竹城(古志城・吉志城)は、北九州市門司区大字吉志に位置した中世山城跡である。関門海峡南東側の企救半島東部、周防灘へ注ぐ吉志川流域の比高約30メートルの丘陵(寒竹山)上に占地していた。門司城(古城山)を本城とする門司氏の南東方面防衛網「門司六城」の一翼に数えられ、周防灘沿岸や豊前内陸部を結ぶ街道を見下ろす要衝であった。後世の九州自動車道建設および吉志パーキングエリア(上り線)の造成工事により城郭遺構の大半は削平・消滅したが、PA売店裏手の敷地脇に「寒竹城跡」と刻まれた城址石碑が建立されている。高速道路PA内に城跡記念碑が残る極めて珍しい城郭遺跡として知られる。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉時代の建長7年(1255年)、門司氏の祖である下総前司・藤原親房によって築かれたと伝えられる。南北朝の動乱期には門司一族が北朝方・南朝方に分裂して争う中、当地の吉志(古志)系門司氏は足利尊氏ら北朝方に属して軍功を挙げた。応永年間には門司親俊が城主を務め、応仁の乱後の大内氏の内紛に際しても参陣した記録が残る。戦国時代後期には関門海峡を巡る大友氏と毛利氏の抗争において毛利方につき、永禄5年(1562年)に吉志門司氏が毛利氏より所領安堵状を受けている。その後、豊臣秀吉の九州征伐および近世小倉城築城体制への移行に伴い廃城となったと推測される。

👀 見どころ

九州自動車道吉志PA(上り線)売店裏手に建立されている「寒竹城跡」石碑、PA周辺に残る丘陵地形の名残、高速道路休憩施設と中世城館跡が一体化した特異な歴史的景観

🍲 ご当地グルメ

門司港焼きカレー、吉志PA名物肉うどん・かしわ飯、門司港ちゃんらー、小倉焼うどん、関門海峡ふぐ料理


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線門司駅から西鉄バス恒見営業所行き等で約20分「吉志」下車、徒歩約15分(※高速道路PA内所在のため通常は九州自動車道利用推奨)

車でのアクセス

九州自動車道 新門司ICから車で約5分(※吉志PA上り線内に城址碑あり、下り線からも利用可)

駐車場

有(九州自動車道吉志PA上り線駐車場、無料約80台)

📍 周辺地図

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