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100名城・続100名城 -
別称 到津城、清末屋敷、引地山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 41.3m

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者到津中務
築城年平安時代
廃城年天正15年(1587年)頃
主な城主到津氏、宇佐氏、清末氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり
※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。

📜 概要

引地山城(到津城)は、福岡県北九州市小倉北区都一丁目の到津八幡神社西側、国道3号戸畑バイパスとの間に位置する東へ伸びた独立丘陵上に築かれた中世平山城である。古代から宇佐神宮の有力神領(荘園)であった「到津荘」を管理・防衛する軍事・政庁拠点であった。丘陵最高所の本郭を中心に東西へ曲輪が展開し、西側の尾根筋を遮断する一条の堀切と堀切に面した土塁、削平された曲輪段などの土木遺構が残存する。東端部は宅地造成等により削平を受けているが、鬱蒼とした丘陵頂部には中世要害の地割が保たれており、城主を務めた清末氏代々の墓塔群が鎮座している。

⚔️ 歴史的役割

平安時代に宇佐神宮の大宮司であった到津中務によって築かれ、代々宇佐大宮司家の支族が拠ったと伝えられる。鎌倉時代以降は宇佐大宮司の代官として清末氏が派遣され、代々の居城となった。戦国期の天文年間には清末公朝・清末左馬助らが在城した。永禄4年(1561年)、大友宗麟の軍勢によって宇佐神宮が焼き討ちされた際、宇佐大宮司・宇佐公達が難を逃れてこの引地山城に入り、天正11年(1583年)まで在城して再起を図るなど、宇佐宮勢力の北九州における最重要拠点となった。その後、豊臣秀吉による九州平定に伴い荘園支配が解体され、近世小倉城の成立とともに廃城となった。

👀 見どころ

西側尾根筋を断ち切る一条の堀切遺構、堀切に面して残る土塁、主郭・腰曲輪の切岸地形、城主・清末氏代々の歴史を伝える石塔・墓碑群、到津荘の中世景観

🍲 ご当地グルメ

小倉焼うどん、小倉発祥焼きカレー、門司港ちゃんらー、戸畑ちゃんぽん、ぬかみそだき


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR日豊本線南小倉駅から西鉄バス到津・黒崎方面行きで約7分「到津八幡前」下車、徒歩約8分(または南小倉駅から徒歩約20分)

車でのアクセス

北九州都市高速1号線 下到津出入口から国道3号戸畑バイパス経由で西へ車で約5分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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