コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 東明寺山城、東明寺砦、文字関城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 111.1m

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者大友氏
築城年南北朝時代
廃城年永禄年間(1558~1570年)頃
主な城主大友氏、大内氏、毛利氏、門司氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり
※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。

📜 概要

東明寺城は、北九州市門司区東門司二丁目の門司港東方にそびえる東明寺山(標高約140メートル)の山頂から尾根筋にかけて築かれた中世山城である。関門海峡最狭部(文字関)および早鞆ノ瀬戸を見下ろす軍事要衝に占地し、古くから関門防衛の拠点とされた古城山(門司城)の南東側背後を直接押さえる出城・支城としての縄張構造をもつ。山頂平坦面の主郭を中心に、尾根伝いに複数の腰曲輪・平坦段が連郭状に配され、背後の尾根筋を断ち切る堀切や急峻な切岸、主郭縁辺部の土塁痕跡などの土木遺構をとどめる。現在は山林化および一部遊歩道・宅地化が進むものの、地形の改変を免れた山頂部周辺には要害の面影が色濃く残る。

⚔️ 歴史的役割

南北朝期より関門海峡を押さえる要害として大友氏や門司氏ゆかりの砦として利用されたと伝わる。戦国時代後期には、豊前北部の覇権と関門渡海航路の支配権をめぐり、大友宗麟と中国地方の大内氏・毛利元就との間で熾烈な攻防が繰り広げられた「門司城の戦い」において極めて重要な役割を果たした。永禄元年(1558年)に毛利方が門司城を奪取すると、東明寺城はその背後連絡線・退路を監視・防備する砦として活用され、永禄4年(1561年)の大友軍による門司城奪還作戦に際しても両軍の前線拠点として争奪が繰り返された。毛利氏による門司支配の定着およびその後の近世小倉城体制への移行に伴い廃城となった。

👀 見どころ

山頂主郭を取り巻く急峻な切岸地形、尾根筋を遮断する堀切痕跡、段状に削平された腰曲輪群、関門海峡・文字関および門司港市街地を見下ろす要害からの眺望

🍲 ご当地グルメ

門司港焼きカレー、門司港ちゃんらー、小倉焼うどん、関門海峡ふぐ料理、戸畑ちゃんぽん


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線門司港駅から西鉄バス田野浦方面行きで約8分「東門司二丁目」下車、登山口まで徒歩約5分、山頂主郭まで徒歩約15分

車でのアクセス

関門自動車道 門司港ICから県道261号および市道経由で南へ車で約5分、または北九州都市高速 春日出入口から約7分

駐車場

なし

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る