100名城・続100名城
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別称
柳山城、大里城、柳城跡
城址碑
なし
案内板
なし
現存遺構
なし
復元遺構
なし
標高
114.7m
概要スペック
種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者大友氏
築城年室町時代前期
廃城年天正15年(1587年)頃
主な城主大友氏、毛利氏、高橋氏
指定文化財指定なし
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
| ※ 基本情報等については、AIを利用して情報収集しているため、誤り等がある可能性が御座います。誤情報や指摘等がありましたらコメントでお知らせください。 | |||
概要
柳城(柳山城)は、北九州市門司区大字大里の関門海峡南岸を望む標高約165メートルの柳山(風師山系支脈)頂部から尾根筋にかけて築かれた中世山城である。関門海峡の咽喉部および豊前と筑前を結ぶ大里宿・旧山陽道街道筋を一望する要衝に占地する。山頂の主郭を中心に南北の尾根筋へ階段状に曲輪(平坦段)を展開し、尾根を断ち切る堀切や急峻な切岸、主郭縁辺の土塁痕跡などの土木遺構をとどめる。北九州市による埋蔵文化財包蔵地台帳にも山城遺跡として登載されており、後世の山林化や遊歩道整備を受けつつも中世の要害地形を色濃く残している。
歴史的役割
関門海峡を挟む本州・九州の軍事・交通の接点に位置し、大友氏が豊前北部支配および関門渡海路警備の支城として築いたことに始まると伝わる。戦国時代には周防・長門の大内氏、次いで中国地方を制覇した毛利氏と豊後の大友氏との間で門司城を巡る激しい争奪戦(門司城の戦い等)が展開される中、大友方の前線陣地・監視拠点として機能した。永禄年間以降は毛利方や秋月方・高橋氏らの影響下にも置かれ、海陸双方の侵攻に対する境目の城砦として重要な役割を果たした。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定後、小早川隆景や細川忠興の入封・近世小倉城築城体制へ移行する中で廃城となった。
見どころ
山頂主郭を取り巻く急峻な切岸地形、尾根筋を遮断する堀切、連郭状に配された腰曲輪群、関門海峡および門司・下関市街地を見下ろす山頂からの眺望
ご当地グルメ
門司港焼きカレー、門司港ちゃんらー、小倉焼うどん、関門海峡ふぐ料理、戸畑ちゃんぽん