概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
大野城は、福岡県糟屋郡宇美町・太宰府市・大野城市にまたがる標高約410メートルの四王寺山(大城山)一帯に築かれた日本最古級の朝鮮式古代山城跡である。大宰府政庁の北側背後にそびえる山塊全体を城域とし、尾根や谷を巡る外周約8キロメートルの土塁や石垣(百間石垣等)によって包囲した巨大山城である。城内には主城原(本丸相当)をはじめとする平坦地が造成され、70棟を超える礎石建物跡群(米蔵・倉庫跡)や多数の水門・城門跡が確認されている。国の特別史跡に指定され、日本100名城にも選定されている。百済からの亡命貴族(憶礼福留・四比福夫ら)の指導のもと高度な古代土木技術が注ぎ込まれた国防の要塞である。
歴史的役割
天智天皇4年(665年)、白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗したヤマト政権が、大宰府の防衛および本土決戦に備えて前年の水城に続いて築造した。平野部の水城や小水城群と連動し、大宰府が直接攻撃を受けた場合の最終防衛拠点・詰城として機能した。城内には大宰府の軍事補給拠点として莫大な兵糧米が蓄積されていたことが炭化米の発掘により証明されている。奈良時代には四天王を祀る寺院が建立され「四王寺」の別名の由来となった。平安時代初期にかけて大宰府防衛網の中核を担い続けたが、軍事的脅威の薄れた平安中期以降は防衛要塞としての役割を終え、霊山・寺院の地へと移行した。
見どころ
谷部を塞ぐ壮大な百間石垣および大石垣などの古代石塁遺構、尾根沿いに長大に連なる版築土塁群、太宰府口城門・宇美口城門をはじめとする城門・水門跡、炭化米が出土した焼米ヶ原や大石蔵などの礎石建物群、四王寺山頂(大城山)から大宰府政庁跡・博多湾・福岡平野を一望する絶景
ご当地グルメ
宇美八幡宮名物・子安餅、博多ラーメン、水炊き、辛子明太子、もつ鍋