概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
天判山城(天拝山城)は、福岡県筑紫野市大字武蔵・大字古賀にまたがる標高約258メートル(比高約200メートル)の天拝山山頂一帯に築かれた中世山城跡である。山頂からは筑紫平野から福岡平野、博多湾、大宰府政庁跡、宝満山、四王寺山を一望できる軍事監視の超一等地に占地する。山頂の主郭部は菅原道真ゆかりの天拝神社社地や展望広場として後世改変を受けているが、神社から南へ延びる尾根筋に1条の堀切、東側尾根に2条の堀切が残存し、中腹の飯盛城や山麓の堂山城(堂ノ山砦)と連動した複合城塞群を形成していた。筑紫野市および福岡県の遺跡地図・埋蔵文化財包蔵地台帳に中世山城遺跡として登載されている。
歴史的役割
永禄2年(1559年)頃には筑前南部を領した有力国人・筑紫惟門の居城として機能していた。その後、天正年間には筑紫広門の重臣である帆足備後守善右衛門尉や帆足弾正忠勝が城主を務め、出城である飯盛城や堂山城とともに天拝山全山を要塞化して筑紫氏の本拠・勝尾城の北東防衛・前線監視網を担った。天正14年(1586年)7月、九州制覇を目指す島津義久軍による筑前大侵攻(勝尾城攻防戦・岩屋城の戦い)が勃発すると、島津軍の猛攻を受けて落城した。城主・帆足氏は脱出して筑紫方の籠もる宝満山城へ合流したと伝えられる。豊臣秀吉による九州平定に伴い筑紫氏が筑後へ転封となったことで完全に廃城となった。
見どころ
山頂南尾根を遮断する堀切および東尾根筋に残る2条の堀切遺構、主郭(天拝神社・展望広場)周囲の切岸地形、中腹に展開する出城・飯盛城跡の明瞭な曲輪群と土塁、九州最古寺院の一つである山麓の武蔵寺と天拝山歴史自然公園の景勝、山頂展望台から太宰府政庁跡・水城・大野城・福岡市街・筑紫平野を見渡す360度の大パノラマ眺望
ご当地グルメ
二日市温泉通り名物ちゃんぽん、太宰府梅ヶ枝餅、筑紫野の地酒、博多ラーメン、水炊き