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100名城・続100名城 -
別称 宝満城、御笠城、竈門城、宝満山城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 827.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者高橋鑑種
築城年天文年間(1532~1555年)
廃城年天正15年(1587年)
主な城主高橋氏、秋月氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:827.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

宝満山城は、福岡県筑紫野市大字本道寺・太宰府市にまたがる霊峰・宝満山(標高829.6メートル)の山頂から東院谷・尾根筋一帯に築かれた九州屈指の峻険を誇る中世山岳城郭跡である。全山が国の史跡「宝満山」に指定されている。古くから修験道の拠点として栄えた山岳寺院(竈門山寺・有智山寺)の坊跡や石垣群を城郭要塞として改修・転用した特異な構造を持つ。山頂上宮周辺の岩峰を本丸(主郭)とし、北東の仏頂山へ続く尾根筋を遮断する堀切、東院谷座主跡周辺の重厚な石垣段群や土塁、大石蔵、井戸跡など山岳寺院と軍事要塞が一体化した大規模遺構が良好に遺存する。中腹の有智山城や枡形山城、頭巾山城、愛嶽山砦など広大な城塞群を統括する中核拠点であった。

⚔️ 歴史的役割

室町時代後期から戦国時代にかけて、豊後大友氏の重臣・高橋鑑種が修験道の要衝を城郭化して本拠としたことに始まる。筑前・筑後・豊後を結ぶ交通結節点と大宰府の裏鬼門を扼する不落の山岳要塞として機能した。永禄12年(1569年)に鑑種が大友宗麟に叛旗を翻した際には大友軍の包囲猛攻に耐え抜いた。鑑種の退去後は名将・吉弘鑑理(高橋紹運)が城主となり、岩屋城とともに大友方の最前線拠点として秋月氏や島津氏と激戦を繰り広げた。天正14年(1586年)の島津軍による筑前大侵攻(岩屋城の戦い・宝満山城包囲戦)では紹運の次男・高橋統増が籠城し、岩屋城玉砕後も降伏開城まで持ち堪えた。天正15年の豊臣秀吉の九州平定に伴い統増が転封となり廃城となった。

👀 見どころ

巨岩を天然の防壁とした標高829mの山頂本丸跡、東院谷や座主跡一帯に重厚に連なる中世石垣段(坊跡・曲輪石垣群)、仏頂山方面への尾根筋を断ち切る堀切および切岸遺構、山頂直下に残る座主坊跡の井戸遺構、山頂巨岩上から玄界灘・博多湾・福岡平野・有明海方面までを見渡す360度の大パノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉通り名物ちゃんぽん、太宰府梅ヶ枝餅、筑紫野の地酒、博多ラーメン、水炊き


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(14城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線二日市駅または西鉄太宰府線太宰府駅からコミュニティバス「まほろば号」内山行きで終点「内山(竈門神社前)」下車、正面登山道経由で山頂本丸まで徒歩約120分(筑紫野市本道寺登山口からは山道徒歩約90分)

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道および本道寺林道経由で北東へ車で約25分、または太宰府ICから竈門神社・本道寺方面へ約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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