概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
枡形城(枡形山城)は、福岡県太宰府市大字内山にそびえる霊峰・宝満山南西側の支尾根上、枡形山(標高約432メートル)山頂部に位置する戦国時代の山城(出城・砦)跡である。国の史跡「宝満山」の指定範囲内に含まれる。山頂の宝満山本城(本丸)や中腹の有智山城、頭巾山城、愛嶽山砦などとともに巨大な「宝満山城塞群」を形成し、南西側の尾根筋および内山谷を防御する前衛拠点として機能した。急峻な尾根地形を巧みに利用し、山頂の主郭平坦面を中心に階段状の曲輪群、尾根を遮断する堀切、斜面を切落とした切岸、土塁状の高まりなどの土木遺構が山林内に良好に残る。山伏の修験道拠点(行場・坊跡)とも複合した中世山岳防衛拠点としての特色を有する。
歴史的役割
戦国時代に大友氏配下の有力武将・高橋鑑種が宝満山城を大改修した際、山頂本城を取り巻く外郭防衛線・出城の一つとして築かれたと伝わる。宝満山・内山谷は大宰府政庁跡の北東に位置し、筑前と豊後・筑後を結ぶ戦略的交通路と大宰府の裏鬼門を扼する要衝であった。鑑種の大友氏離反やその後の吉弘鑑理(高橋紹運)の入城を経て、岩屋城・宝満山城を核とする対秋月氏・島津氏の最前線迎撃ネットワークの一角を担った。天正14年(1586年)7月の岩屋城の戦い・宝満山城攻防戦において、圧倒的兵力で侵攻した島津軍の猛攻に晒され、城塞群とともに落城。天正15年の豊臣秀吉による九州平定および高橋統増の転封に伴い役目を終えて廃城となった。
見どころ
枡形山頂に造成された削平主郭面と周囲を取り巻く切岸地形、尾根筋を断ち切る堀切遺構、主郭縁辺部に残る土塁状の高まり、宝満山城本峰や頭巾山城・愛嶽山と連動する山岳城塞群の立地構造、四王寺山や太宰府市街を見渡す山頂尾根からの展望
ご当地グルメ
梅ヶ枝餅、太宰府八ちゃんラーメン、博多もつ鍋、水炊き、辛子明太子