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100名城・続100名城 -
別称 枡形城跡、枡形山城、宝満山城枡形砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 431.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者高橋鑑種
築城年天文年間(1532~1555年)頃
廃城年天正14年(1586年)
主な城主高橋氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:431.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

枡形城(枡形山城)は、福岡県太宰府市大字内山にそびえる霊峰・宝満山南西側の支尾根上、枡形山(標高約432メートル)山頂部に位置する戦国時代の山城(出城・砦)跡である。国の史跡「宝満山」の指定範囲内に含まれる。山頂の宝満山本城(本丸)や中腹の有智山城、頭巾山城、愛嶽山砦などとともに巨大な「宝満山城塞群」を形成し、南西側の尾根筋および内山谷を防御する前衛拠点として機能した。急峻な尾根地形を巧みに利用し、山頂の主郭平坦面を中心に階段状の曲輪群、尾根を遮断する堀切、斜面を切落とした切岸、土塁状の高まりなどの土木遺構が山林内に良好に残る。山伏の修験道拠点(行場・坊跡)とも複合した中世山岳防衛拠点としての特色を有する。

⚔️ 歴史的役割

戦国時代に大友氏配下の有力武将・高橋鑑種が宝満山城を大改修した際、山頂本城を取り巻く外郭防衛線・出城の一つとして築かれたと伝わる。宝満山・内山谷は大宰府政庁跡の北東に位置し、筑前と豊後・筑後を結ぶ戦略的交通路と大宰府の裏鬼門を扼する要衝であった。鑑種の大友氏離反やその後の吉弘鑑理(高橋紹運)の入城を経て、岩屋城・宝満山城を核とする対秋月氏・島津氏の最前線迎撃ネットワークの一角を担った。天正14年(1586年)7月の岩屋城の戦い・宝満山城攻防戦において、圧倒的兵力で侵攻した島津軍の猛攻に晒され、城塞群とともに落城。天正15年の豊臣秀吉による九州平定および高橋統増の転封に伴い役目を終えて廃城となった。

👀 見どころ

枡形山頂に造成された削平主郭面と周囲を取り巻く切岸地形、尾根筋を断ち切る堀切遺構、主郭縁辺部に残る土塁状の高まり、宝満山城本峰や頭巾山城・愛嶽山と連動する山岳城塞群の立地構造、四王寺山や太宰府市街を見渡す山頂尾根からの展望

🍲 ご当地グルメ

梅ヶ枝餅、太宰府八ちゃんラーメン、博多もつ鍋、水炊き、辛子明太子


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(18城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄太宰府線太宰府駅からコミュニティバス「まほろば号」内山行きで約10分「内山(竈門神社前)」下車、愛嶽山・宝満林道経由で山道徒歩約45分

車でのアクセス

九州自動車道 太宰府ICから県道35号および県道578号経由で東へ車で約15分、または都市高速環状線 水城出入口から約18分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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