概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
高尾山城は、福岡県太宰府市石穴の九州国立博物館南東にそびえる高雄山(高尾山、標高約158メートル、比高約80メートル)の山頂および東側尾根筋に築かれた戦国時代の山城(砦・陣城)跡である。弓形状に連なる丘陵地形を巧みに利用し、山頂の主郭から南北に伸びる長大な尾根筋に曲輪群を配置している。北端の曲輪北側面には横堀が穿たれ、北西へ続く尾根を堀切で遮断している。また南へ伸びる主郭西側には土塁が長く添えられ、南端から東および南へ延びる尾根筋にもそれぞれ堀切が連続して配されるなど、明瞭な土木遺構が山林内に良好に遺存している。太宰府市および福岡県の遺跡地図・埋蔵文化財包蔵地台帳に中世城館遺跡として登載されている。
歴史的役割
築城年代は定かではないが、岩屋城や宝満山城を拠点とする豊後大友方の重臣・高橋紹運の家臣が当初守備・在城していたと伝わる。大宰府政庁跡や太宰府天満宮の南東近傍を扼し、筑前南部と豊後・筑後を結ぶ交通路を見張る前線砦・監視拠点として機能した。その後、勢力拡大を図る在地国人の筑紫氏の持城となったが、天正14年(1586年)7月の島津軍による筑前大侵攻(岩屋城の戦い)に際しては、島津氏に呼応した秋月種実ら秋月氏勢力が岩屋城・宝満山城包囲のための陣城・向城として一時利用したとされる。岩屋城落城およびその後の豊臣秀吉による九州平定に伴い軍事的役割を完全に終え、廃城となった。
見どころ
弓状の尾根に沿って長く展開する連郭状曲輪群と切岸地形、北端曲輪の北側面に残る横堀および北西尾根を遮断する堀切遺構、南へ伸びる曲輪の西縁に添えられた長大な土塁痕跡、南端および東尾根筋に連続して刻まれた遮断堀切群、山麓に鎮座する巨石信仰と九州三大稲荷で知られる石穴稲荷神社奥宮の磐座景観
ご当地グルメ
太宰府梅ヶ枝餅、太宰府八ちゃんラーメン、博多もつ鍋、水炊き、辛子明太子