概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
龍ヶ城(竜ヶ城)は、福岡県筑紫野市大字大石の笹尾山(標高355.3メートル)から西へ派生した標高約232メートル(比高約130メートル)の山頂・尾根筋に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。宝満川上流の谷筋および太宰府南東部を見下ろす要衝に占地する。山頂の主郭は一段小高く造成され、周囲に帯曲輪が巡り、西側へ伸びる尾根上に複数の平坦段(曲輪)が配されている。主郭から東側の背後尾根筋は深大な堀切によって厳重に遮断され、その先にも堀切や竪堀が構築されているほか、主郭周囲や西端斜面にも連続竪堀群が良好に遺存している。福岡県および筑紫野市の遺跡地図・埋蔵文化財包蔵地台帳に中世山城遺跡として登載されている。
歴史的役割
築城年代は定かではないが、岩屋城・宝満山城主であった大友方重臣・高橋紹運の配下武将である北原鎮久の居城として知られる。天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友氏が島津氏に大敗すると、筑前では秋月種実らが反大友の兵を挙げた。天正8年(1580年)、北原鎮久は大友家を見限って秋月氏に内通を図ろうとしたが、一計を案じた高橋紹運に露見し、岩屋城に呼び出されて成敗・誅殺されたと『筑前國續風土記』等に記録されている。宝満山城・岩屋城の南東防衛網および監視拠点として機能していたが、城主・北原氏の失脚や天正年間の島津軍侵攻、その後の九州平定を経て役目を終え廃城となった。
見どころ
主郭東側の尾根筋を断ち切る深大な大堀切および連続堀切遺構、主郭周囲や西尾根側面に配された連続竪堀群、主郭を取り巻く帯曲輪と切岸地形、後世の神社跡に伴う石積痕跡、宝満山系南西麓・筑紫野市街を見渡す山林内の要害景観
ご当地グルメ
二日市温泉通り名物ちゃんぽん、太宰府梅ヶ枝餅、筑紫野の地酒、博多ラーメン、水炊き