概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
三角城(三角城陣城群)は、北九州市八幡東区大字田代の企救山地西縁、豊前と筑前の旧国境尾根上の標高約437メートル峰(三角山)を中心に展開する戦国時代の山城(陣城群)跡である。北に連なる吉川城陣城群とともに、東側の谷を挟んで対峙する大友方の拠点・大三岳城および南東の小三岳城を包囲・監視する位置に占地する。福岡県の中近世城館跡調査によって大規模な陣城群であることが判明し、標高437メートルの三角城a(主郭)から尾根沿いに三角城b〜hまで複数の曲輪群(陣地)が分散・連郭状に配されている。山頂平坦面の削平段を中心に、尾根を遮断する堀切、斜面を切落とした切岸、土塁状の高まりなどの土木遺構が山林内に良好に遺存している。
歴史的役割
永禄11年(1568年)、豊後大友氏の傘下に入った豊前の有力国人・長野氏(三岳長野氏)の大三岳城・小三岳城を攻略するため、毛利元就の命により九州へ出陣した吉川元春・小早川隆景・益田藤兼ら率いる毛利軍によって築城された対陣・包囲用の陣城群である。長野氏の拠る三岳山系を西方および北方の尾根筋高所から圧迫すべく、吉川城と連携して広範囲に陣所を布陣・連動させ、徹底した包囲戦を展開した。激戦の末に長野氏を降伏に追い込み、毛利方の北九州橋頭堡の防衛に大きく寄与した。その後、大友方の反攻や中国地方での情勢変化に伴う毛利本隊の撤退に伴い、短期間の陣城としての役目を終えて放棄・廃城となった。
見どころ
三角城a(標高437m峰)を中心に尾根伝いに連なる多数の陣城郭群(三角城a〜h)、尾根筋を遮断する堀切および削平された段曲輪群、谷を隔てて対峙する大三岳城・小三岳城との実戦的な対陣地形、各郭周囲の急峻な切岸、豊前・筑前の国境山稜から八幡・企救方面を見渡す眺望
ご当地グルメ
八幡ぎょうざ、北九州ラーメン、小倉焼うどん、戸畑ちゃんぽん、くろがね堅パン