概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小三岳城(小三ヶ岳城)は、北九州市小倉南区大字辻三の標高約307メートルの山頂および尾根筋に築かれた中世山城跡である。北の谷を挟んで長野氏一族の大三岳城(標高414メートル)と対峙し、併せて「三岳城」と総称される。山頂の主郭を中心に西および北東へ伸びる尾根上に曲輪群が連郭状に配されている。西尾根には二条の堀切や送電鉄塔前後の堀切が穿たれ、主郭南尾根の二重堀切脇や北東尾根先端の削平段下には明瞭な畝状竪堀群が確認される。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳に山城遺跡として登載されており、大三岳城とともに毛利軍の吉川陣城群・三角陣城群からの激しい攻撃に耐えた実戦的な縄張りを良好にとどめている。
歴史的役割
企救郡一帯に確固たる勢力を誇った有力国人・豊前長野氏によって、本拠である長野城の支城および大三岳城と一体の防衛拠点として南北朝時代から室町時代にかけて築かれたとされる。戦国時代後期、大友氏に帰属した長野氏に対し、永禄11年(1568年)に毛利元就が吉川元春・小早川隆景らを派遣して三岳山系へ侵攻。毛利勢は北方の吉川城・三角城に包囲陣城を構築して大三岳城・小三岳城へ猛攻を仕掛けた。長野三岳氏は険阻な地形と堅固な畝状竪堀・堀切を駆使して奮戦したものの、最終的に降伏開城を余儀なくされた。その後、豊臣秀吉の九州平定に伴う長野氏の没落・国割替によって役目を終え、廃城となった。
見どころ
北東尾根先端および主郭南側堀切脇に遺存する明瞭な畝状竪堀群、西尾根を厳重に遮断する連続堀切、主郭周辺の削平段と鋭い切岸、三岳梅林公園に設置された解説案内板、谷を隔てて対峙する大三岳城および毛利方吉川・三角陣城群の遺構群
ご当地グルメ
小倉焼うどん、小倉発祥焼きカレー、門司港ちゃんらー、戸畑ちゃんぽん、ぬかみそだき