概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
稗畑山城(宮山城・大野城)は、北九州市小倉南区大字山本・大字高津尾の境界にそびえる標高約234メートルの稗畑山山頂および尾根筋に築かれた中世山城跡である。企救平野南部と紫川水系を見下ろし、近隣の長野城や山本城、大三岳城・小三岳城と呼応する要衝に占地する。南北に長い山頂主郭を中心に北下方へ三段の広大な曲輪段が展開し、主郭北端には土塁が巡る。北側尾根には幅広く弓形状に山稜を断ち切る大規模な堀切が穿たれ、主郭南西斜面には一条の大竪堀および畝状竪堀群、南端西側にも堀切が残存するなど多彩かつ堅固な土木遺構をとどめている。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳にも中世山城遺跡として登載されている。
歴史的役割
築城年代の詳細は未詳であるが、企救郡一帯を治めた有力武士・豊前長野氏によって築かれたと伝えられる。応永年間には長野義富の子が山本八郎義親と称して近隣の山本城に拠るなど、長野一族の重層的な防衛ネットワークの一翼を担った。戦国時代後期、大友宗麟の傘下に属した長野氏に対し、永禄11年(1568年)に毛利元就が派遣した吉川元春・小早川隆景率いる毛利軍が北九州に侵攻した際、大三岳城の戦いと連動して宮山城(稗畑山城)も毛利軍の猛攻を受け落城した。一度は大友方の反攻で奪還されたものの再度攻め落とされるなど激しい争奪戦の舞台となった。その後、毛利軍の撤退や豊臣秀吉の九州平定に伴う国割替・小倉城体制への移行を経て廃城となった。
見どころ
北側尾根を幅広く弓形状に遮断する大規模な堀切、主郭西側面斜面に刻まれた畝状竪堀群および大竪堀遺構、主郭北端に遺存する土塁、山頂主郭から段状に下る切岸地形、山麓に鎮座する古社・西大野八幡神社の景観、山頂から小倉南部の田園・平野部を見渡す眺望
ご当地グルメ
小倉焼うどん、小倉発祥焼きカレー、門司港ちゃんらー、戸畑ちゃんぽん、ぬかみそだき