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100名城・続100名城 -
別称 大野城、宮山城、稗畑城、稗畑山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 232.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者長野氏
築城年南北朝時代
廃城年永禄11年(1568年)頃
主な城主長野氏、毛利氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:232.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

稗畑山城(宮山城・大野城)は、北九州市小倉南区大字山本・大字高津尾の境界にそびえる標高約234メートルの稗畑山山頂および尾根筋に築かれた中世山城跡である。企救平野南部と紫川水系を見下ろし、近隣の長野城や山本城、大三岳城・小三岳城と呼応する要衝に占地する。南北に長い山頂主郭を中心に北下方へ三段の広大な曲輪段が展開し、主郭北端には土塁が巡る。北側尾根には幅広く弓形状に山稜を断ち切る大規模な堀切が穿たれ、主郭南西斜面には一条の大竪堀および畝状竪堀群、南端西側にも堀切が残存するなど多彩かつ堅固な土木遺構をとどめている。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳にも中世山城遺跡として登載されている。

⚔️ 歴史的役割

築城年代の詳細は未詳であるが、企救郡一帯を治めた有力武士・豊前長野氏によって築かれたと伝えられる。応永年間には長野義富の子が山本八郎義親と称して近隣の山本城に拠るなど、長野一族の重層的な防衛ネットワークの一翼を担った。戦国時代後期、大友宗麟の傘下に属した長野氏に対し、永禄11年(1568年)に毛利元就が派遣した吉川元春・小早川隆景率いる毛利軍が北九州に侵攻した際、大三岳城の戦いと連動して宮山城(稗畑山城)も毛利軍の猛攻を受け落城した。一度は大友方の反攻で奪還されたものの再度攻め落とされるなど激しい争奪戦の舞台となった。その後、毛利軍の撤退や豊臣秀吉の九州平定に伴う国割替・小倉城体制への移行を経て廃城となった。

👀 見どころ

北側尾根を幅広く弓形状に遮断する大規模な堀切、主郭西側面斜面に刻まれた畝状竪堀群および大竪堀遺構、主郭北端に遺存する土塁、山頂主郭から段状に下る切岸地形、山麓に鎮座する古社・西大野八幡神社の景観、山頂から小倉南部の田園・平野部を見渡す眺望

🍲 ご当地グルメ

小倉焼うどん、小倉発祥焼きカレー、門司港ちゃんらー、戸畑ちゃんぽん、ぬかみそだき


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR日田彦山線石原町駅から徒歩約25分(または志井駅から徒歩約30分)、西大野八幡神社裏山登山口より山道徒歩約25分

車でのアクセス

九州自動車道 小倉南ICから国道322号および県道63号経由で南へ車で約5分、または北九州都市高速5号線 若園出入口から約15分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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