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100名城・続100名城 -
別称 下山田砦、山田城、下山田城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 181.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者大友氏
築城年南北朝時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主大友氏、立花氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:181.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

下山田城は、福岡県糟屋郡新宮町大字立花口(旧下山田地区近接)の立花山北西麓に派生する標高約60メートル(比高約35メートル)の独立性を持つ丘陵尾根頂部に築かれた中世平山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡II』等の遺跡台帳に登載されている。巨大拠点である立花山城の北西側直下を守る外郭的前哨要害として機能した。主郭は東西に平坦な削平地が広がり、西側の尾根先および東側の立花山本体へと続く稜線に複数の小段郭群が連郭状に配されている。尾根筋には敵の侵攻を遮断するための堀切や急傾斜の切岸加工が施され、主郭周縁部には土塁状の高まりが残存する。湊川水系の低地平野部や古賀・新宮方面から立花山城へ至る主要登城路を扼する地勢を誇る。

⚔️ 歴史的役割

立花山城の北方および北西側山麓における防衛網の一翼を担う出城・監視砦として、南北朝期から戦国期にかけて大友氏・立花氏の手により維持・運用された。山麓の下山田や佐屋一帯は立花山城の大手・搦手方面へと接続する交通の結節点にあたり、永禄年間の大友氏と毛利氏の激突(立花山城攻防戦)や、天正期における秋月氏・宗像氏連合軍の侵攻、さらには島津軍の立花山城包囲戦に際しても、山麓の集落および兵站線を保護し敵部隊の接近を早期に察知・阻止する迎撃拠点としての重要な戦術的役割を担った。天正14年(1586年)の島津戦終結後、豊臣期から慶長6年(1601年)の立花山城廃城に伴い役目を終えた。

👀 見どころ

立花山城北西麓に造成された主郭平坦削平地および周囲に施された切岸地形、尾根筋からの敵兵進出を遮断する堀切および空堀遺構、主郭縁辺部に認められる土塁痕跡、立花山城(井楼山・白岳・松尾岳)の峻険な山容を仰ぎ見つつ山麓平野を一望する眺望、本城・立花山城と連動した外郭防御ラインの立地遺構

🍲 ご当地グルメ

新宮あまおう苺スイーツ、玄界灘天然真鯛料理、博多もつ鍋、博多ラーメン、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(8城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線福工大前駅から新宮町コミュニティバス(マリンクス・山らいず線)で約18分「佐屋」または「立花小学校前」下車、下山田・立花口北西山麓より徒歩約10分

車でのアクセス

九州自動車道 古賀ICから国道3号バイパスおよび県道経由で南西へ車で約12分、または福岡都市高速4号粕屋線 粕屋出入口から車で約15分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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