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100名城・続100名城 -
別称 手光城、冠城、冠山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 158.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者河津重房
築城年鎌倉時代後期
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主河津氏、宗像氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:158.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

冠山城は、福岡県福津市大字手光字冠の冠集落北西背後にそびえる標高約160メートル(比高約100メートル)の山頂部に築かれた鎌倉・戦国時代の山城跡である。西郷川流域を見下ろす丘陵尾根上に占地し、現在は登山道が整備されている。主郭は南北に長く平坦に造成され、北端部には良好な土塁が築かれている。特筆すべきは主郭北背後の尾根筋を大規模に断ち切る見事な大堀切であり、明確な遺構として残存している。南側斜面には堀切の代わりに竪堀が穿たれ、尾根先に向かって小規模な段郭群が連なる。登城路入口付近の道脇にも土塁痕跡が認められ、木戸や城戸口が設けられていたと推定される。宗像郡西部の境目要害の姿を今に伝える。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉時代後期、河津重房が高鳥居城から西郷(宗像・福津地域)に移って城を構えたことに始まると伝わる。戦国時代に入ると河津氏は宗像大宮司・宗像氏の有力な被官(国衆)となり、西郷荘一帯の支配と防衛を担った。当城は宗像氏の重要拠点である許斐岳城や宮地岳城と連携し、西方に勢力を張る豊後大友方(立花山城)の侵攻に対する境目の前線監視砦・出城として軍事的に重要な役割を果たした。天正年間まで宗像氏西方の防衛ネットワークを構成したが、天正14年(1586年)の宗像氏貞没後の宗像家断絶および豊臣秀吉による九州平定に伴い、役目を終えて廃城となったと推測される。

👀 見どころ

主郭(本丸)北側背後の尾根筋を鋭く大規模に断ち切る圧巻の大堀切遺構、主郭北端に遺存する土塁および曲輪周囲の切岸加工、主郭南側斜面に穿たれた竪堀および尾根筋に連なる小段郭群、冠公民館からの登山道入口付近に確認できる虎口・木戸跡と推定される土塁痕跡、山頂主郭から手光の田園地帯や福間平野・玄界灘方面を見晴らす眺望

🍲 ご当地グルメ

鯛茶漬け(福津名物)、玄界灘活イカ、宮地嶽名物松ヶ枝餅、宗像天然アナゴ料理、博多ラーメン


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(14城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線東福間駅から南東へ徒歩約20分(約1.5km)、またはJR福間駅からふくつミニバス等利用後「冠」下車、冠公民館より登山道・山頂主郭まで徒歩約15分

車でのアクセス

九州自動車道 古賀ICから国道3号バイパスおよび県道経由で北東へ車で約15分、または若宮ICから車で約20分

駐車場

有(冠公民館前駐車場、無料約10台)

📍 周辺地図

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