概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
剣岳城は、福岡県鞍手郡鞍手町大字新北・中山にまたがる標高約126メートル(比高約90メートル)の「剣岳(鞍手富士)」山頂部に築かれた室町・戦国時代の山城跡である。現在は剣岳自然公園として整備され、九州自動車道鞍手IC付近からもその美しい円錐形の山容を望むことができる。山頂の主郭(本丸)は長方形の単郭構造をなし、南東部に虎口が開かれ石積みの痕跡が残存する。主郭の東面を遮断する空堀・横堀や、斜面を切落とした切岸、北側斜面等に畝状竪堀群が確認されている。主郭内には八剣神社の祠や展望台が設置され、鞍手町教育委員会による解説板が建てられている。遠賀川中流域の平野部や周囲の街道を見下ろす天然の監視拠点であった。
歴史的役割
応仁年間(1467~1469年)に梅野土佐によって築城されたと伝わる。文明年間(1469~1487年)には宗像大宮司・宗像氏の出城(端城)となり、宗像氏家臣の野中勘解由が城代を務めた。その後、一時空城となっていたが、戦国期の天文年間(1532~1555年)に筑前の有力勢力・秋月文種が手中に収め、家臣の跡部安芸守を城代として配置した。宗像氏・秋月氏・大友氏の勢力争いが交錯する遠賀郡内における要衝として防衛を担った。天正14年(1586年)、豊臣秀吉による九州平定軍の先鋒として進軍した山鹿城主・麻生家氏らによって攻められて落城し、廃城・破却されたとされる。
見どころ
山頂主郭南東虎口付近に残存する野面積みの石垣遺構、主郭東側を遮断する空堀・横堀および堀切地形、斜面に刻まれた畝状竪堀群と切岸、山頂に建つ八剣神社石祠および鞍手町設置の城跡解説案内板、標高126mの山頂展望台から鞍手町・直方平野・遠賀川流域を360度一望する大パノラマ眺望
ご当地グルメ
鞍手ぶどう、鞍手卵かけご飯、八幡ぎょうざ、直方焼きスパ、直方ちゃんぽん