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100名城・続100名城 -
別称 古子山城、尾東山城、古子城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 93.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置単郭式
築城者立花氏
築城年戦国時代
廃城年永禄11年(1568年)
主な城主立花氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:93.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

古子城(古子山城)は、福岡県古賀市青柳町に所在する標高約100メートル(比高約70メートル)の尾東山(古子山)山頂部に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡II』等の遺跡台帳や城郭放浪記に登載されている。東側に連なる尾東山山系と青柳平野の間に位置し、山頂の主郭は明瞭に人工的な削平が施された平坦面を形成している。主郭の周囲には急峻な切岸加工が認められ、尾根続きからの敵の侵攻を遮断するための堀切や空堀状の地形が残存する。南西にそびえる立花山城や北東の薦野城・米多比城、四万城など周囲の中世山城群と視覚的に結ばれ、大根川・青柳川流域の街道を見下ろす天然の物見台・前哨砦としての地形的特徴を極めて良好に保っている。

⚔️ 歴史的役割

戦国期に筑前国の重要拠点・立花山城を本拠とした立花氏に関連する支城・前哨砦として機能したと伝えられる。永禄11年(1568年)、立花山城主・立花鑑載が安芸の毛利元就に呼応して主家である豊後大友宗麟に反旗を翻した際(立花鑑載の乱)、大友方の戸次鑑連(立花道雪)や吉弘鎮理らの大軍に攻められて立花城が落城すると、鑑載はこの古子城方面へと逃れて再起を図ったとの伝承を残す。大友・毛利両雄の激突の舞台となった立花山城の北東防衛線を担い、青柳・筵内方面の間道を扼する軍事警戒拠点であった。鑑載の乱の鎮圧および戸次道雪の立花山城入城を経て、戦国末期の豊臣秀吉による九州平定に伴い役目を終えて廃城となった。

👀 見どころ

山頂主郭部を明瞭に削り出した平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸地形、尾根続きを遮断する堀切および空堀痕跡、立花鑑載の落城・逃亡伝承を秘める山頂部の城館遺構、隣接する古賀市グリーンパークやコスモス館と連動した登城散策路、山頂から青柳平野・古賀市街・玄界灘・立花山城(立花山)方面を見晴らす絶好の眺望景観

🍲 ご当地グルメ

古賀ラーメン、焦がしスイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)、鯛茶漬け、博多もつ鍋


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(13城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線古賀駅東口から西鉄バス(青柳・グリーンパーク古賀方面行き)で約15分「青柳」または「コスモス館前」下車、尾東山・古子山登城路を経て山頂主郭まで徒歩約15分(またはJRししぶ駅から車で約10分)

車でのアクセス

九州自動車道 古賀ICから国道3号バイパスおよび県道35号筑紫野古賀線経由で南東へ車で約5分

駐車場

有(古賀市グリーンパーク駐車場、無料約500台)

📍 周辺地図

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