概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
熊山城は、福岡県遠賀郡岡垣町大字三吉の洞源寺南側に位置する標高68メートル(比高約60メートル)の「熊山」山頂部に築かれた古代・中世の城館(山城)跡である。『福岡県の中近世城館跡II』等の埋蔵文化財包蔵地台帳に「熊山城」として収録され、城館としての利用可能性が指摘されている。山頂は南北方向に平坦に削平されており、低い段差によって南北に平段(曲輪)が形成されている。山頂中央部には「岡縣主熊鰐公碑」の石碑が建立されており、日本書紀に記された古代の豪族・岡県主熊鰐の館跡伝承地と結びつく。複雑な土木遺構は少ないものの、周囲に切岸状の急斜面を巡らせており、古代豪族の居館から中世在地領主の物見・詰城へと機能を変遷させながら利用された山城の景観を留めている。
歴史的役割
『日本書紀』の仲哀天皇条・神功皇后条に登場する古代豪族・岡県主熊鰐(おかのあがたぬしくまわに)が居館を構えた地と伝えられる。熊鰐は仲哀天皇の筑紫巡幸に際し、周防の沙么浦(防府)まで周船水軍を率いて出迎え、魚見潟から岡の水門へと先導した人物として名高い。中世に入ると、遠賀郡一帯に勢力を張った麻生氏や近隣の岡城、三吉周辺の在地土豪らによって、湯川山・孔大寺山系東麓と三吉平野部を見渡す前哨監視砦・詰めの城郭として利用されたと推測される。響灘沿岸および岡ノ荘の要衝街道を監視する政治的・軍事的高台として機能し、戦国期の動乱や麻生氏の衰退・豊臣期を経て役目を終えた。
見どころ
山頂平坦面の中央に建立されている「岡縣主熊鰐公碑」の石碑、山頂主郭に認められる南北の平坦削平地および切岸状の急斜面地形、三吉集落および湯川山・孔大寺山山麓を見晴らす標高68m山頂からの眺望、登城路の起点となる山麓の古刹・洞源寺の佇まい、近隣の岡城跡や高倉神社と併せて巡る岡垣町の古代・中世歴史景観
ご当地グルメ
岡垣ビワ、高倉びわゼリー、ぶどうの樹ワイン・ソーセージ、波津海岸活イカ料理、八幡ぎょうざ