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100名城・続100名城 -
別称 立花城、立花城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 366.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・階郭式複合
築城者大友貞載
築城年元弘年間(1330年頃)
廃城年慶長6年(1601年)
主な城主大友氏、立花氏、毛利氏、小早川氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:366.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

立花山城は、福岡県糟屋郡新宮町大字立花口、福岡市東区、糟屋郡久山町の境界にそびえる標高367メートルの立花山(井楼山・松尾岳・白岳など七峰)山塊全域に築かれた中世屈指の巨大拠点山城跡である。新宮町側に所在する最高峰・井楼山の山頂に本丸を構え、松尾岳、白岳、小一町、大一町などの各峰や尾根筋に多数の削平曲輪を段状に展開する。山頂本丸周辺には戦国末期改修の野面積み石垣が良好に遺存し、各尾根には堀切や畝状竪堀群、巨大な古井戸(大井戸)が残る。博多湾、玄界灘、博多の町並み、さらには大宰府や宗像方面へ至る陸海の要衝を完全に俯瞰・掌握できる戦略的要置に占地している。

⚔️ 歴史的役割

元弘年間、大友氏初代・大友能直の孫にあたる大友貞載が豊後から筑前に入部して築城したことに始まる。南北朝から戦国期にかけて大友氏の筑前支配の最重要拠点となり、代々立花氏を称した。永禄年間には大友・毛利両雄による北九州覇権を巡る激戦の舞台となり、毛利元就の大軍による包囲戦を耐え抜いた。その後、名将・戸次鑑連(立花道雪)が入城して立花姓を名乗り、養子の立花統虎(立花宗茂)へと継承された。天正14年(1586年)の島津軍の猛攻に対し、若き立花宗茂が寡兵で徹底抗戦し城を守り抜いた逸話は名高い。豊臣政権下では小早川隆景が一時居城とし、慶長6年(1601年)黒田長政が福岡城を築く際の石垣用材として破却・転用され廃城となった。

👀 見どころ

最高峰・井楼山(本丸)山頂直下に残存する織豊期様式の野面積み石垣遺構、山頂尾根筋に今なお水を湛える巨大な石組みの「立花城大井戸」、松尾岳や白岳へと連なる広大な連郭・段郭群と尾根を遮断する堀切・竪堀遺構、国指定特別天然記念物である樹齢300年超の巨大クスノキ自生地の原始的社叢景観、標高367m山頂から博多湾・福岡市街地・志賀島・玄界灘・能古島を360度一望する大パノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

新宮あまおう苺スイーツ、玄界灘天然真鯛料理、博多もつ鍋、博多ラーメン、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(8城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線福工大前駅から新宮町コミュニティバス(マリンクス・山らいず線)で約20分「立花小学校前」下車、立花口登山口まで徒歩約15分、山頂本丸まで登山道徒歩約45分

車でのアクセス

九州自動車道 古賀ICから国道3号バイパスおよび県道経由で南へ車で約15分、または福岡都市高速4号粕屋線 粕屋出入口から北東へ車で約20分

駐車場

有(立花山登山者駐車場、無料約40台)

📍 周辺地図

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