概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
龍昌寺山城は、福岡県遠賀郡岡垣町大字高倉に所在する曹洞宗の古刹・玉雲山龍昌寺の南西背後、標高143.3メートル(比高約100メートル)の三角点峰山頂部に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡II』等の遺跡台帳に登載されている。主郭となる山頂部は削平が比較的粗く、自然地形を活かした単郭構造を呈しているが、主郭の北東側および南東側へと続く尾根筋には敵の侵入を遮断するための堀切や空堀、急傾斜の切岸地形が残存する。普請途上(築城未完成)の様相を残す遺構構造が特徴であり、山麓の高倉集落や矢口方面、岡ノ荘一帯を見下ろす天然の物見台・前哨拠点としての地勢を留めている。
歴史的役割
戦国期に岡城を本拠として岡ノ荘を支配した有力国人・麻生隆守が、近隣勢力の侵攻に備えて普請を進めた詰め城あるいは前衛砦と伝えられる。天文15年(1546年)頃、大友氏の勢力拡大を背景に大友方家臣・瓜生左近大夫(吉田)貞延らが岡城へ猛攻を仕掛けた際、築城工事(普請)中であった当城は内通者によって敵方に引き渡され、落城したと伝わる。この戦いで本城の岡城も陥落し、城主・麻生隆守は内浦の海蔵寺へと逃れて自刃、岡麻生氏は壊滅した。その後、山麓の龍昌寺は衰微したが、江戸初期に黒崎城主となった黒田二十四騎の一人・井上周防守之房(道柏)が愛して再興し、自身の菩提寺とした歴史を有する。
見どころ
山頂主郭部から延びる尾根筋を断ち切る堀切および空堀遺構、主郭周囲の急斜面を活かした切岸地形、普請途上で放棄された戦国期山城の生々しい縄張痕跡、山麓に佇む麻生氏・井上之房ゆかりの古刹・龍昌寺の境内および井上之房の墓碑、山頂部から岡垣の丘陵部や響灘方面を見渡す眺望
ご当地グルメ
岡垣ビワ、高倉びわゼリー、ぶどうの樹ワイン・ソーセージ、波津海岸活イカ料理、八幡ぎょうざ