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100名城・続100名城 -
別称 調馬場、的馬場、唐山城西峰、唐山西砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 186.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者神武秀宗
築城年戦国時代
廃城年天正年間
主な城主神武氏、安河内氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:186.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

唐山西城は、福岡県大野城市大字乙金と糟屋郡宇美町の境に位置する井野山(唐山)山塊の西峰頂部(標高約210メートル、比高約170メートル)に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や大野城市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。井野山山頂の唐山東城(本峰)、中央峰の「下城」とともに一体的な複合山岳防衛線を形成しており、西峰部分は地元で「調馬場」「的馬場」の伝承地として知られる。東西に細長い尾根筋を階段状に削平した連郭式の曲輪群が展開し、主郭西端や東側の中央峰へ至る鞍部には堀切が穿たれ、曲輪縁辺部には明瞭な切岸および土塁状の高まりが残存する。御笠川流域の平野部や大宰府政庁跡・水城跡方面を西眼下に直接俯瞰する要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

井野山城(唐山城)群の西翼を担う前哨防御拠点・兵馬調練所として築かれたと伝わる。築城者は東城と同じく神武秀宗、または大友氏配下の在地領主・安河内氏と伝えられる。博多・粕屋平野から大宰府(岩屋城・宝満山城)へと通じる唐山峠や乙金越えの交通路を西側正面から直接監視・迎撃する重要な軍事的位置を占めた。大友氏と毛利氏が激突した立花山城の戦いや、秋月種実による筑前侵攻に際しても、大宰府北東方面の警戒網および大野城山塊北麓の防御ラインとして機能した。天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城攻撃の際にも大宰府近郊の前哨拠点として緊張下に置かれ、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い役目を終えて廃城となった。

👀 見どころ

東西に延びる尾根筋を平坦に削平した「調馬場・的馬場」と伝わる長大な削平曲輪群、尾根続きからの敵軍侵入を遮断する堀切および空堀遺構、曲輪周囲を取り巻く急峻な切岸加工面と土塁痕跡、井野山山頂(唐山東城・下城)と連携した複合城郭群の遺構配置、西峰から大野城市街・太宰府・水城跡・博多平野方面を間近に見晴らす哨戒拠点ならではの眺望

🍲 ご当地グルメ

大野城鶏高菜飯、博多ラーメン、博多もつ鍋、宇美八幡名物子安餅、太宰府名物梅ヶ枝餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(24城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄天神大牟田線白木原駅またはJR鹿児島本線大野城駅から西鉄バス(乙金・宇美方面行き)で約15分「乙金」下車、井野山西麓の林道・登山道を経て西峰山頂まで徒歩約30分

車でのアクセス

九州自動車道 太宰府ICから県道60号および県道経由で北東へ車で約10分、または都市高速2号線 水城出入口から車で約12分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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