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100名城・続100名城 -
別称 新城、新城城、新城山砦、西隈新城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 59.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者原田興種
築城年永正年間(1504~1521年)頃
廃城年天正15年(1587年)
主な城主原田氏、神代氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:59.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

新城山城(しんじょうやまじょう)は、福岡県那珂川市大字西隈に所在する標高約130メートル(比高約90メートル)の新城山山頂部に築かれた室町・戦国時代の山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や那珂川市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。那珂川中流域の西岸に張り出した独立性の高い丘陵尾根上に占地し、山頂の主郭を中心に南北および東方の派生尾根筋に沿って多数の削平曲輪が連郭状に配されている。主郭周囲には明瞭な切岸が造成され、尾根続きからの敵の侵攻を遮断するための堀切や竪堀、曲輪縁辺の土塁痕跡が良好に残存している。直下を流れる那珂川および東岸の那珂川平野、近隣の亀ノ尾城や岩門城、老林城方面を一望する要衝に位置し、那珂郡南部の水陸要衝を押さえる要害であった。

⚔️ 歴史的役割

室町時代後期から戦国期にかけて、怡土郡・那珂郡一帯に勢力を張った筑前有力国衆・原田氏(高祖城主)の一門によって築かれたと伝えられる。岩門城や亀ノ尾城を抑える原田氏の前線拠点・出城として機能し、戦国期には大内氏・少弐氏の抗争、さらには豊後大友氏の筑前進出に伴う軍事摩擦の中で防衛網の一翼を担った。永禄から天正年間にかけては大友方立花道雪らの勢力や、肥前の龍造寺氏・神代氏らの動向に連動して激しい攻防が繰り広げられた。那珂川沿いの平野部および肥前・脊振山地方面へ通じる峠道を扼する軍事的中継・迎撃拠点としての重要な役割を果たしたが、天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定に伴う原田氏の没落・領地没収とともに役目を終えて廃城となった。

👀 見どころ

山頂主郭部の明瞭な平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な高切岸、尾根筋を厳重に分断する堀切および竪堀遺構、主郭および主要曲輪の縁辺部に残存する土塁痕跡、派生尾根に段状に連なる連郭式の段曲輪群、山頂部から那珂川中流域の平野部や亀ノ尾城跡・岩門城跡・老林城跡方面を見渡す眺望景観

🍲 ご当地グルメ

博多ラーメン、那珂川名物かわせみ豆腐、鶏すき(筑前郷土料理)、博多もつ鍋、辛子明太子


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(23城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR博多南線博多南駅から那珂川市コミュニティバス(かわせみバス・南畑線等)で約10分「現人橋」または「西隈」下車、西隈集落西側の山道・農道を経て山頂主郭まで徒歩約25分(博多南駅から約3km)

車でのアクセス

福岡都市高速環状線 野多目出入口から国道385号バイパス経由で南へ車で約12分、または九州自動車道 太宰府ICから車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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