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100名城・続100名城 -
別称 臼杵氏端城、今津城、城の山
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 15.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別出城
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者臼杵重察
築城年戦国時代
廃城年天正7年(1579年)頃
主な城主臼杵氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:15.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

臼杵端城(臼杵氏端城)は、福岡市西区今津の福岡今津郵便局南側に位置する今津湾に臨む標高約15.7メートルの独立丘陵(小字「城」)に築かれた中世平山城(出城)である。丘陵頂部には二段ほどの削平地(曲輪)が連郭状に形成され、北側斜面の一角には城主・臼杵重察の墓と伝えられる石塔を伴う平坦面が残る。背後の丘陵には大規模な土木遮断線は設けられておらず、作事物(柵や板塀)と周囲の急峻な切岸状斜面・海岸低地を活かした監視拠点的な縄張を呈する。江戸期には既に畑地化しており、現代も山林や平段地形を留めている。

⚔️ 歴史的役割

志摩郡一帯を統括する志摩郡代(柑子岳城督)として柑子岳城に入部していた豊後大友氏の有力重臣・臼杵氏の端城(前衛拠点・出城)として機能した。城主の臼杵重察は柑子岳城主・臼杵鎮続ら大友方臼杵一族または与力衆と伝えられる。博多湾・今津湾に面する良港である今津の海岸交通・海上流通を監視・掌握し、南方の怡土郡を支配する原田隆種(高祖城主)ら対立勢力からの海岸線ルートの侵攻を警戒する水陸交通の要塞であった。天正7年(1579年)前後の大友氏勢力の後退や木付氏の立花山城退転に伴い廃絶したと推測される。

👀 見どころ

今津湾を望む標高約15mの独立丘陵の要害地形、丘陵頂部の連郭状平段(曲輪跡)、北側斜面の伝臼杵重察墓所

🍲 ご当地グルメ

博多ラーメン、糸島海鮮丼(カキ小屋・活魚料理)、もつ鍋、水炊き、辛子明太子


おいど攻城記録


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