概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小机城(こづくえじょう)は、神奈川県横浜市港北区小机町に所在する鶴見川南岸の標高約40メートル(比高約30メートル)の半島状舌状台地に築かれた中世城郭跡である。「続日本100名城(125番)」および横浜市指定史跡。鶴見川低地を臨む要害に占地し、本丸と二の丸を中心に東郭・西郭などの曲輪群が尾根上に連郭式に展開する。曲輪間を遮断する大規模な空堀(堀切)や本丸・二の丸を取り巻く分厚い土塁、富士仙元と呼ばれる櫓台状高まり、切岸、井戸跡が極めて良好に遺存する。後北条氏による改修に伴い整備された重厚な土木縄張構造がほぼ完存しており、現在は「小机城址市民の森」として公有地化・整備され、首都圏において中世城郭の遺構景観を体感できる屈指の城跡である。
歴史的役割
室町時代の関東管領上杉氏期に築かれ、文明10年(1478年)の長尾景春の乱では長尾方に呼応した矢野兵庫助らが籠城、太田道灌が約2か月の対峙の末に落城させた「小机城の戦い」で知られる。戦国期には伊勢宗瑞(北条早雲)の武蔵進出に伴って後北条氏の支配下に入り、重臣・笠原信為らが城代を務めた。後北条氏は小机城を南武蔵支配の軍事拠点「小机領」の本城と位置づけ、配下の武士団「小机衆」を組織して鶴見川水系および鎌倉街道・府中街道沿いの防衛網を統括させた。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に際して落城・開城し、廃城となった。
見どころ
本丸と二の丸をダイナミックに分断する巨大な空堀(堀切)遺構、本丸および二の丸周囲に連続して残る重厚な土塁、櫓台とされる「富士仙元」の高まり、二の丸に隣接する水の手(井戸跡)、急峻な斜面を削り落とした見事な切岸面、続日本100名城スタンプ設置および横浜市指定史跡の案内板・城址碑、毎年春に甲冑武者行列が行われる「小机城址まつり」の舞台、竹林に囲まれ中世の雰囲気を今に留める小机城址市民の森の散策景観
ご当地グルメ
横浜サンマーメン、横浜家系ラーメン、生麦穴子天丼、シュウマイ(崎陽軒)、ハマぽーく豚肉料理