概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
ちよほんが城は、福岡県筑紫野市大字山口の天拝湖南西、基山(標高404.5メートル)の北北東約1.4キロメートルにそびえる標高約360メートル(比高約230メートル)の山頂稜線部に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市遺跡台帳に登載されている。基山から北へ派生する山岳尾根筋の要衝に占地し、主郭を中心に尾根に沿って複数の平坦削平曲輪が連郭状に配されている。尾根筋からの敵兵侵入を遮断するための堀切や空堀、曲輪の周囲を切り落とした急峻な切岸加工面、土塁状の高まりが良好に残存する。東麓の山口川・原田川流域低地、北方の天拝山・博多見城、南方の肥前国境(基肄城・木山城)を一望する天然の高山要塞であり、筑前・肥前国境の山岳間道を監視する要害であった。
歴史的役割
筑前・肥前国境一帯を領有した有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛ネットワークに属する山岳出城・哨戒砦として機能した。南に隣接する基山山頂の中世木山城や勝尾城、北方の博多見城や天拝山城(天判山城)と連絡を取り合い、筑紫平野と大宰府方面を結ぶ間道や背後の山岳ルートを監視・防衛する軍事的重要拠点を担った。戦国末期における大友氏・筑紫氏・秋月氏の抗争、さらに天正14年(1586年)の島津軍による筑前侵攻戦の際にも国境山岳地帯の警戒・迎撃にあたったと推測される。天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、筑紫広門の上妻郡移封と領主層の再編が行われたことで、山岳砦としての役目を終えて自然廃城となった。
見どころ
標高約360mの山頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、尾根筋を断ち切る遮断堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根に沿って段状に連なる連郭式の段曲輪群、山頂稜線部から筑紫野平野・天拝湖・基山(古代基肄城・木山城跡)・博多見城方面を見晴らす山岳哨戒拠点ならではの眺望景観
ご当地グルメ
二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)