概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
一ノ谷城(いちのたにじょう)は、福岡県飯塚市平塚(旧嘉穂郡穂波町)の南西山間部にそびえる標高199メートル(比高約150メートル)の山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。嘉穂盆地南西部から三郡山地東麓へと連なる険阻な山塊に占地し、山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って段状削平曲輪が連郭式に配されている。尾根続きからの侵攻を遮断する空堀・堀切や急峻な切岸加工面、土塁痕跡が残存する。東麓を流れる平塚川・穂波川水系低地平野部や平塚集落、および盆地南西部から山間部を抜ける間道を直下に俯瞰する天険の要害に位置し、平野部からの敵の接近をいち早く察知・邀撃する前哨哨戒拠点として機能した。
歴史的役割
戦国大名・秋月氏が嘉穂・穂波郡一帯を掌握する中で、領内南西端の防衛ラインを固めるために配置した端城・物見砦として機能したと推定される。平塚地区は、桂川・穂波方面の平野部と筑紫野・太宰府方面を結ぶ山間部(米ノ山・冷水峠方面)の東側山麓に位置する。西方の大友氏(高橋紹運・立花道雪)勢力や筑紫氏らの東進・侵入を警戒し、近隣の城山城(北古賀)や小佐古城、高石山城などと連動して山岳哨戒網の一翼を担った。天正14年(1586年)の島津軍による筑前侵攻戦の緊迫期を経て、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封と領主層の刷新が行われたことで役目を終えて自然廃城となった。
見どころ
標高199mの山頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く比高150mの急峻な切岸斜面、尾根筋からの敵兵侵入を遮断する空堀および堀切遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、派生尾根に沿って段階状に配された連郭式の段曲輪群、穂波川上流平野部と三郡山地を結ぶ間道を扼する山岳要害地形、山頂部から平塚・桂川平野・嘉穂盆地西部および三郡山系の稜線を見晴らす哨戒砦ならではの眺望景観
ご当地グルメ
飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅