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100名城・続100名城 -
別称 平塚一ノ谷城、一ノ谷城跡、一ノ谷砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 198.4m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:198.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

一ノ谷城(いちのたにじょう)は、福岡県飯塚市平塚(旧嘉穂郡穂波町)の南西山間部にそびえる標高199メートル(比高約150メートル)の山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。嘉穂盆地南西部から三郡山地東麓へと連なる険阻な山塊に占地し、山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って段状削平曲輪が連郭式に配されている。尾根続きからの侵攻を遮断する空堀・堀切や急峻な切岸加工面、土塁痕跡が残存する。東麓を流れる平塚川・穂波川水系低地平野部や平塚集落、および盆地南西部から山間部を抜ける間道を直下に俯瞰する天険の要害に位置し、平野部からの敵の接近をいち早く察知・邀撃する前哨哨戒拠点として機能した。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏が嘉穂・穂波郡一帯を掌握する中で、領内南西端の防衛ラインを固めるために配置した端城・物見砦として機能したと推定される。平塚地区は、桂川・穂波方面の平野部と筑紫野・太宰府方面を結ぶ山間部(米ノ山・冷水峠方面)の東側山麓に位置する。西方の大友氏(高橋紹運・立花道雪)勢力や筑紫氏らの東進・侵入を警戒し、近隣の城山城(北古賀)や小佐古城、高石山城などと連動して山岳哨戒網の一翼を担った。天正14年(1586年)の島津軍による筑前侵攻戦の緊迫期を経て、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封と領主層の刷新が行われたことで役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

標高199mの山頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く比高150mの急峻な切岸斜面、尾根筋からの敵兵侵入を遮断する空堀および堀切遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、派生尾根に沿って段階状に配された連郭式の段曲輪群、穂波川上流平野部と三郡山地を結ぶ間道を扼する山岳要害地形、山頂部から平塚・桂川平野・嘉穂盆地西部および三郡山系の稜線を見晴らす哨戒砦ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(31城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR篠栗線・筑豊本線(福北ゆたか線)桂川駅から車・タクシーで約10分、またはJR筑豊本線(原田線)上穂波駅から車で約12分、平塚集落西方の林道・山道を経て標高199メートルの山頂部まで登山徒歩約25分(桂川駅から南西へ約3.5km)

車でのアクセス

八木山バイパス 穂波東ICから国道200号バイパス経由で南へ車で約12分、または冷水道路 内野ICから北へ車で約15分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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