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100名城・続100名城 -
別称 馬敷向山城、向山城跡、向山砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 226.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者不明
築城年戦国時代
廃城年天正年間
主な城主秋月氏、大友氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:226.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

向山城(むかいやまじょう)は、福岡県飯塚市馬敷(旧嘉穂郡筑穂町)の上馬敷集落南西にそびえる標高約247メートル(比高約120メートル)の山頂部から北東へ延びる尾根上に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や公的遺跡資料に登載されている。山頂三角点(標高247m)から北東へ派生する痩せ尾根筋に沿って段状の削平曲輪群が連郭状に配されている。山頂主郭から北東へ下る尾根上には鋭い二重堀切が穿たれて敵の尾根伝いの侵入を遮断し、さらに外側にも2条の堀切が連続して掘削されている。曲輪縁辺部には切岸加工や土塁・櫓台状の高まりが残存し、小規模ながら極めて精緻かつ実戦的な遮断防御線を備えている。穂波川・内住川流域の低地平野部および上穂波・馬敷一帯を直下に俯瞰する要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

築城年代や築城者の詳細は未詳であるが、嘉穂・穂波郡一帯に勢力を張った戦国大名・秋月氏の防衛ネットワークを構成する端城・前哨砦の一つとされる。北西の砥石山(鬼杉城・懸尾城)や南方の高石山城・米ノ山城、東方の城山城などと連動し、豊後大友氏の勢力圏である宝満山・太宰府方面から筑豊盆地へと抜ける山間街道(冷水峠・米ノ山峠周辺ルート)を監視・警戒する哨戒拠点を担った。永禄から天正年間に至る大友氏と秋月氏の死闘、および立花道雪軍の進出に際しても前線警戒にあたったと推測される。天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城侵攻に伴う軍事摩擦を経て、天正15年の豊臣秀吉による九州平定および秋月氏の日向移封に伴い役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

山頂主郭から北東尾根へ下る尾根筋を厳重に分断する見事な二重堀切遺構、尾根先に連続して刻まれた追加の堀切2条と空堀痕跡、曲輪縁辺部に残存する急峻な切岸加工面および土塁・櫓台状の高まり、尾根筋の地形を活かして階段状に造成された連郭式の小曲輪群、標高約247mの山頂部から馬敷・上穂波平野および飯塚・嘉穂盆地方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(筑穂名物)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(22城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(原田線)上穂波駅から徒歩約40分(約2.8km)、または桂川駅からタクシーで約10分、上馬敷集落神社裏尾根または北東山麓墓地側より山道・尾根筋を経て山頂主郭まで登山徒歩約25分

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから県道65号および国道200号経由で北へ車で約10分、または八木山バイパス 筑穂ICから車で約12分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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