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100名城・続100名城 -
別称 北古賀原城、北古賀城、城の山、城山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 131.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別出城
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:131.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

城山城(じょうやまじょう)は、福岡県飯塚市北古賀(旧嘉穂郡穂波町)の北側にそびえる標高135メートル(比高約90メートル)の「城の山」山頂部および派生尾根筋に築かれた戦国時代の山城(出城・砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳、城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。北西約500メートルに位置する小佐古城の南東側に位置し、山頂の主郭部は自然地形に近い緩斜面が広がる。顕著な遺構として山頂西裾の鞍部を断ち切る明瞭な堀切・空堀が穿たれている。東側へ延びる尾根筋は緩やかな自然傾斜を呈し、急造の陣城・砦的な様相を色濃く残す。穂波川中流域低地平野部や桂川・嘉穂盆地西部、および大分方面から南下する街道筋を眼下に俯瞰する要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏の端城(出城・哨戒拠点)と伝えられる。穂波郡南部から桂川・嘉穂盆地にかけての地域は、古処山城を本拠とする秋月種実勢力にとって西方の三郡山系(大友・高橋勢力)および筑紫平野方面からの侵攻ルートを警戒する重要な防衛ラインにあたる。北西の小佐古城や大分城、南西の高の山城などと連携し、街道沿いの軍勢移動を監視・遮断する前哨砦として機能した。天正年間における大友氏と秋月氏の抗争の中で維持されたが、天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封と領主層の刷新が行われたことで役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

山頂西裾の尾根鞍部に穿たれた明瞭な堀切・空堀遺構、標高135mの「城の山」山頂部に広がる主郭平坦緩斜面、西側尾根筋から山頂へ至る登城ルートの要害地形、北古賀集落の直背後に位置し街道筋を扼する前哨砦ならではの立地構造、山頂部から桂川平野・穂波川流域および筑豊盆地南部の山並みを見晴らす哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(13城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR篠栗線・筑豊本線(福北ゆたか線)桂川駅から徒歩約20分(約1.4km)、北古賀集落の宅地間より鞍部へ登る山道を経て東尾根・山頂主郭まで徒歩約15分(桂川駅からタクシーで約5分)

車でのアクセス

八木山バイパス 穂波東ICから国道200号バイパス経由で南へ車で約10分、または冷水道路 内野ICから北へ車で約12分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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