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100名城・続100名城 -
別称 堂山砦、堂ノ山城、武蔵堂ノ山砦、天拝山出城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 104.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者筑紫氏
築城年戦国時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主筑紫氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:104.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

堂ノ山砦(どうのやまとりで)は、福岡県筑紫野市大字武蔵にそびえる天拝山(標高257.4メートル)の南東側派生尾根頂部(標高約130~150メートル、比高約90メートル)に築かれた戦国時代の山城(砦・前哨哨戒拠点)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。天拝山山頂から武蔵温泉(二日市温泉)や武蔵寺方面へと延びる尾根筋を階段状に削平し、主郭を中心に小規模な平坦段曲輪が連郭状に配されている。尾根筋には敵の侵攻を遮断するための堀切や空堀、曲輪縁辺を取り巻く急峻な切岸加工および土塁痕跡が残存する。山麓の古刹・武蔵寺や二日市温泉街、牛頸山系と筑紫平野を連絡する古代官道・交通路を眼下に収める位置に占地し、平野部の動向を広角に監視する要害であった。

⚔️ 歴史的役割

勝尾城を本拠として筑前・肥前国境一帯を支配した有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛ネットワークを担う前哨砦・物見砦として機能した。天拝山周辺は、大宰府の岩屋城・宝満山城に拠る豊後大友氏(高橋紹運)勢力と、筑紫氏および秋月種実勢力が激しく境目を争った軍事的最前線にあたる。天正13年(1585年)の宝満山城争奪戦や、天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城大攻防戦に際して、筑紫平野から大宰府方面へ進出する軍勢の動向を察知・警戒する監視拠点としての役割を果たした。その後、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴う領主層の再編と近世秩序の成立に伴い、山岳監視砦としての役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

天拝山南東尾根に造成された主郭および連郭状の平坦段曲輪群、尾根続きからの進軍を遮断する堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する急峻な切岸加工面と土塁痕跡、天拝山歴史自然公園および九州最古の仏教寺院と伝わる武蔵寺に隣接する歴史的立地環境、砦跡から二日市温泉街・筑紫平野・太宰府政庁跡・宝満山方面を見渡す物見砦ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(41城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線二日市駅から西鉄バス(甘木・原田方面行き)で「天拝坂」または「武蔵寺」下車徒歩約15分、天拝山歴史自然公園登山口より登山道(天拝山自然歩道)経由で天拝山・堂ノ山尾根頂部まで徒歩約25分(またはJR二日市駅から登山口まで徒歩約20分)

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道31号バイパス経由で北へ車で約8分、または太宰府ICから国道3号バイパス経由で南へ車で約15分

駐車場

有(天拝山歴史自然公園駐車場、無料約50台)

📍 周辺地図

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