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100名城・続100名城 -
別称 小野谷塘迫城、塘迫城跡、塘迫砦、小野谷砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 149.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:149.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

塘迫城(ともさこじょう)は、福岡県嘉麻市小野谷(旧嘉穂郡嘉穂町)の小野谷川上流南岸、標高約220メートル(比高約100メートル)の山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳等に登載されている。嘉穂盆地南西部の山間谷筋に占地し、背後の馬見山・古処山へと連なる山塊の北側前衛に位置する。山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な段状削平曲輪が連郭式に配され、背後尾根を遮断する空堀・堀切や急峻な切岸加工面、曲輪縁辺部の土塁状の高まりが残存する。小野谷の谷筋集落や峠越えの間道を眼下に見下ろす好位置にあり、東方の益富城(大隈城)や南西の屏山城・古処山城などと連絡を取り合う哨戒要害として機能した。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏が古処山城を本拠として嘉麻・朝倉両郡を統治する中で、嘉麻盆地南東部の谷筋交通路および山間間道を監視・防衛するために配置した前衛支城・物見砦である。小野谷地区は、嘉麻方面から馬見山北麓を越えて小石原や朝倉方面へと通じる山間古道の入口にあたる。豊後大友氏の勢力侵入や毛利氏系諸勢力の動向を警戒し、接近の際には狼煙や急使により益富城や千手城、本拠の古処山城へ危急を告げるとともに、谷筋を封鎖して敵の進撃を遅延させる任務を担った。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に際し、秋月種実の降伏および日向高鍋移封に伴って軍事的役目を終え、自然廃城となった。

👀 見どころ

標高約220mの尾根頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、背後尾根からの敵兵侵入を遮断する空堀・堀切遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根に沿って段階状に配された連郭式の段曲輪群、馬見山系北麓の谷筋隘路を押さえる秋月氏支城ネットワークの縄張構造、山頂部から小野谷集落・小野谷川流域および嘉穂盆地方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

嘉麻うどん、嘉穂牛ステーキ・焼肉、山田まんじゅう、白木牧場特別牛乳スイーツ、カマシカ肉ジビエ料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(21城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR後藤寺線下鴨生駅から車・タクシーで約22分、または飯塚バスターミナルから西鉄バス(西鉄大隈行き)で「西鉄大隈」下車、嘉麻市コミュニティバス嘉穂線に乗換え「小野谷」下車、小野谷集落南西側の山林・農道を経て標高約220メートルの山頂主郭まで登山徒歩約25分(下鴨生駅から南へ約10km、比高約100m)

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから国道322号および県道経由で東へ車で約20分、または八木山バイパス 穂波東ICから車で約25分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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