概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
小鷹城(こたかじょう)は、福岡県朝倉郡筑前町弥永の目配山から南へ派生した尾根先端頂部、標高213.2メートル(比高約160メートル)の小鷹城山に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡』や城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。三角点のある南端最高所を主郭とし、その北下に南北に長い二の郭を配する連郭式の縄張を呈する。主郭・二の郭の周囲は堀切と見事な畝状竪堀群で強固に防備されており、北端を堀切と竪堀で遮断し、西側へ伸びる尾根には二重横堀と堀切、主郭南側には畝状竪堀群とその下方に二重堀切を設けるなど、高度かつ緻密な土木防御遺構が極めて良好に残存している。朝倉平野・筑後川流域北縁と筑前内陸部を結ぶ街道を見下ろす要害に位置する。
歴史的役割
築城年代は定かではないが、楢原備後守高利によって築かれたと伝えられる。戦国期には秋月種実を擁する戦国大名・秋月氏の勢力下に入り、秋月氏の重臣である内田善兵衛や深江伯耆守が城番を務めた。朝倉郡・筑前南部の平野部から秋月本拠地(古処山城)へ至る南西方面からの進軍路を扼する最前線要塞として機能し、豊後大友氏や筑紫氏らの侵攻に対する防衛ラインを担った。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定において、秋月氏が降伏し日向高鍋へ移封されたことに伴い、役割を終えて自然廃城となった。
見どころ
主郭および二の郭の周囲斜面を取り巻く見事な畝状竪堀群、主郭南側の尾根を遮断する豪快な二重堀切遺構、西側派生尾根に構築された二重横堀と堀切による厳重な遮断線、北端尾根を断ち切る堀切および山道へと連続する竪堀、標高213mの山頂部から朝倉平野・筑前町・三輪市街地・筑後川流域を見渡す前衛拠点ならではの大パノラマ眺望景観
ご当地グルメ
筑前クロダマル(黒大豆)料理、朝倉蒸し雑煮、筑前町ご当地カレー、筑穂牛・朝倉和牛料理、甘木川魚料理・川蟹