概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
岩切山城(いわきりやまじょう)は、福岡県朝倉市三奈木の佐田川中流東岸、三奈木小学校の東側に位置する標高約70メートル(比高約30~40メートル)の独立丘陵頂部および派生尾根上に築かれた中世・戦国時代の山城跡である。『日本城郭大系』や『福岡県の中近世城館跡I』、城郭放浪記、余湖図モニター等の専門資料に登載されている。西側山麓に黒田家の菩提寺・清岩寺が建つ丘陵上に占地し、最高所を削平した主郭には中央に円墳状のマウンドが残る。主郭の南背後は明瞭な堀切によって尾根続きを遮断し、北側斜面には腰曲輪・段曲輪が階段状に配置され、周囲を取り巻く急峻な切岸加工や土塁痕跡が残存する。英彦山街道と日田街道が交差する三奈木集落や佐田川沿いの水陸交通路を眼下に扼する要害であった。
歴史的役割
元弘3年(1333年)の元弘の乱に際し、大友貞宗を支持した山下五郎左衛門貞之・貞盛兄弟の居城(茶臼山岩切山城)として史料に見え、菊池氏・後醍醐天皇方に呼応した筑後星野氏の星野胤親率いる軍勢に攻められ激戦の末に落城した記録が残る。戦国時代には秋月氏の支配下に入り、秋月二十四城に連なる支城ネットワークの一翼として機能し、在地土豪の山下氏らが城番を務めた。三奈木地区は下座郡の中核地であり、筑前内陸部から豊後日田・豊前英彦山方面へと連絡する軍事・交通の重要結節点であった。秋月氏は東南の境目防衛および街道監視のために本城を維持したが、天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封により廃城となった。近世には山麓至近に福岡藩筆頭家老・三奈木黒田家の陣屋・別邸(御茶屋)が置かれた。
見どころ
清岩寺裏山の丘陵最高所に造成された主郭平坦削平地および中央の円墳状マウンド、主郭南背後の尾根筋を鋭く断ち切る堀切遺構、北側斜面に階段状に連なる段曲輪群と切岸急斜面、主郭縁辺部に残存する土塁状の高まり、山麓に位置する福岡藩重臣ゆかりの寺院・清岩寺境内の重層的歴史景観、標高70mの山頂部から佐田川流域・三奈木宿場集落・市指定名勝三奈木黒田家庭園方面を見渡す交通要衝ならではの眺望
ご当地グルメ
朝倉蒸し雑煮、甘木川魚料理・川蟹、筑前クロダマル(黒大豆)料理、朝倉和牛・筑穂牛ステーキ、秋月葛料理(葛切り・葛餅)