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100名城・続100名城 -
別称 岸殿砦、岸殿城跡、下山田岸殿城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 247.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏、岸氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:247.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

岸殿城(きしどのじょう)は、福岡県嘉麻市下山田(旧山田市)の山田川東岸に面した山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳等に登載されている。山田盆地東側の山塊から西方の低地平野へ突き出た尾根先端部に占地し、山田川流域の街道筋を一望する要害の立地にある。最高所を平坦に削平した主郭を中心に、尾根筋に沿って平坦な段状削平曲輪が連郭式に造成されている。背後尾根からの敵兵侵入を遮断する空堀・堀切や、曲輪縁辺部を取り巻く急峻な切岸加工面、土塁状の高まりが良好に残存する。山田川沿いに北の飯塚・嘉穂盆地方面と南の上山田・豊前国境方面を結ぶ街道を直下で監視・扼する前哨砦として機能した。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏が嘉麻郡一帯を勢力下に収める中で、東方および南方山間部からの敵勢侵入を警戒・防衛するために配置した外郭支城・物見砦である。在地土豪である岸氏(岸殿)が城番を務めたと伝えられ、城名の由来となっている。下山田一帯は、嘉穂盆地から田川・豊前小倉方面や日田・豊後方面へと抜ける山間連絡路が交差する防衛上の要衝にあたる。豊後大友氏や毛利氏系勢力、田川郡境の国人領主の動向を監視し、有事の際には益富城(大隈城)や梅林城などの近隣拠点と狼煙等で連携して迎撃態勢を敷く役割を担った。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に際し、秋月種実の降伏および日向高鍋移封に伴って守備軍も退去し、城館としての役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

山田川東岸の尾根頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、背後尾根筋を鋭く断ち切る空堀・堀切遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、派生尾根に沿って段階状に配された連郭式の段曲輪群、秋月氏の嘉麻郡東部防衛ラインを構成する砦の縄張構造、山頂部から下山田集落・山田川流域平野・遠賀川水系および対岸の山並みを見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

嘉麻うどん、嘉穂牛ステーキ・焼肉、山田まんじゅう、白木牧場特別牛乳スイーツ、カマシカ肉ジビエ料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(19城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR後藤寺線下鴨生駅から車・タクシーで約15分、またはJR新飯塚駅・飯塚バスターミナルから西鉄バス(山田・西鉄大隈行き等)で「下山田」下車徒歩約15分、山田川東岸の山裾林道・山道を経て標高約180メートルの山頂主郭まで登山徒歩約20分(比高約90m、下鴨生駅から南東へ約7km)

車でのアクセス

八木山バイパス 穂波東ICから国道201号バイパスおよび県道経由で南東へ車で約20分、または冷水道路 内野ICから東へ車で約25分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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