コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 馬見平家城、平家城跡、平家砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 164.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏、籾井氏、毛利氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:164.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

平家城(へいけがじょう)は、福岡県嘉麻市馬見から屏字荒谷にかけての馬見山北西山麓、馬見神社西隣の馬見城から谷を挟んで約400~500メートル西に位置する標高約230~240メートル(比高約70~100メートル)の北派生尾根上に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や城郭放浪記等の専門資料に登載されている。最高所の主郭を中心に北へ伸びる尾根上に数段の削平曲輪が連郭式に造成されている。主郭の西側から南側にかけて二重の堀切が穿たれ、横堀から竪堀へと劇的に変化して谷底へと長く落ち込む極めて高度かつ緻密な遮断線が残存する。馬見神社の門前集落や遠賀川源流部の谷筋、小石原・日田方面へと通じる街道を眼下に扼する要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

築城年代の詳細は未詳であるが、秋月氏の有力出城として籾井氏が城主を務めた伝承や、近隣の馬見城主・毛利鎮実にまつわる伝承が残る。谷を隔てて東隣に対峙する馬見城と呼応し、馬見山北麓の谷筋通路および朝倉・小石原方面への山間交通路を抑える外郭防衛拠点を担った。残存する重厚な二重堀切・横堀・竪堀の縄張構造から、戦国期における豊後大友氏と秋月氏の激しい争奪戦の中で実戦的に改修・運用されたと推測される。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に際し、秋月種実の降伏および日向高鍋移封に伴って守備軍も退去し、軍事的役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

主郭西面から南面にかけて厳重に配された二重の堀切および横堀遺構、横堀から変化して北側谷底へと長く落ち込む長大な竪堀、主郭側で北と西の堀が合流して南西へ延びる緻密な堀切プラン、標高230m超の主郭を中心に北へ階段状に連なる削平段曲輪群と切岸急斜面、東隣の馬見城および馬見神社と連携した谷筋防衛ネットワークの構造、山頂部から馬見・屏地区の谷筋や嘉穂盆地方面を見渡す哨戒砦ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

嘉麻うどん、嘉穂牛ステーキ・焼肉、山田まんじゅう、白木牧場特別牛乳スイーツ、カマシカ肉ジビエ料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(24城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR後藤寺線下鴨生駅から車・タクシーで約20分、またはJR新飯塚駅・飯塚バスターミナルから西鉄バス(西鉄大隈行き)で「西鉄大隈」下車、嘉麻市コミュニティバス嘉穂線に乗換え「馬見神社前」または「馬見」下車、馬見神社の西側谷筋を経て標高230〜240メートルの山頂主郭まで山道徒歩約25分(比高約80〜100m、下鴨生駅から南へ約10km)

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから国道322号および県道440号経由で東へ車で約20分、または八木山バイパス 穂波東ICから車で約25分

駐車場

なし

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る