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100名城・続100名城 -
別称 内住懸尾城、懸尾古城、懸尾砦、懸尾古城跡
城址碑 あり
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 218.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別出城
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者不明
築城年戦国時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主秋月氏、大友氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:218.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

懸尾城(かけおじょう)は、福岡県飯塚市内住(旧嘉穂郡筑穂町)の内住本村集落東側にそびえる標高221メートル(比高約60メートル)の山頂部に築かれた戦国時代の山城(出城・砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』等の公的台帳に登載されている。砥石山山頂(標高828メートル)に位置する鬼杉城の有力な出城・前哨監視砦と伝えられる。山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って段状の削平曲輪が連郭状に配され、斜面には石垣(石積み)遺構や切岸加工が認められる。また、尾根筋を断ち切る堀切や空堀が良好に残存している。内住川流域の低地平野部を見下ろし、飯塚・穂波平野から八木山峠・ショウケ越を経て糟屋・博多方面へ至る交通路を眼下に監視・管制する要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

戦国期において筑前国の山間交通要衝である内住地区を防衛するため、鬼杉城や宝満山城、高石山城などと連携する出城・哨戒砦として機能した。嘉穂・穂波郡一帯に勢力を張った秋月氏や、大宰府・博多を押さえる豊後大友氏の勢力境界にあたり、両雄の抗争や前線進出に際して軍事的中継・警戒監視の役割を担った。永禄から天正年間にかけて、立花道雪らによる筑前平定戦や秋月種実の軍事行動に連動して度々緊張下に置かれた。天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城侵攻、および天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴う領主層の再編の中で、山城としての軍事的役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

内住本村集落の登り口に建立された「懸尾古城跡」の立派な城址石碑、山頂主郭部を取り巻く平坦削平地および切岸加工面、主郭周辺の斜面に残存する石垣(石積み)遺構、尾根続きからの敵兵侵入を遮断する明瞭な堀切および空堀遺構、標高221mの山頂から内住川流域・筑穂の盆地平野や背後に連なる三郡山地・砥石山(鬼杉城方面)を望む山城ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(内住・筑穂名物)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(18城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR篠栗線・福北ゆたか線九郎原駅から徒歩約25分(内住本村集落の「懸尾古城跡」石碑より山道・獣害ネット経由で山頂主郭まで徒歩約15分、九郎原駅から約1.8km)

車でのアクセス

八木山バイパス 筑穂ICから国道201号および県道経由で南へ車で約10分、または九州自動車道 福岡ICから車で約30分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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