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100名城・続100名城 -
別称 阿恵扇山城、扇山城跡、扇山砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 163.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:163.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

扇山城(おうぎやまじょう)は、福岡県飯塚市阿恵(旧嘉穂郡筑穂町)の集落西側にそびえる標高約160メートル(比高約110メートル)の扇山山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や公的遺跡台帳、城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。高石山城(標高483メートル)から東・北東へ派生する山塊群に連なり、近隣の茶臼山城群(阿恵茶臼山城)とともに複合的な山岳防衛拠点を形成していた。主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な段状削平曲輪が連郭式に造成され、尾根続きからの侵攻を遮断する空堀・堀切や切岸加工、土塁痕跡が残存する。内住川流域の低地平野部および阿恵・内野集落、冷水峠越えの旧街道筋を直下に俯瞰する好位置にあり、平野部からの敵の侵入を監視・牽制する哨戒拠点であった。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏が嘉穂・穂波郡一帯を掌握する中で、領内南西端の防衛および冷水峠方面の警戒を固めるために配置した前哨砦・物見拠点として機能した。阿恵地区は、筑豊盆地南部から冷水峠を越えて筑紫野・太宰府方面へと抜ける重要交通路の北側入り口にあたり、西方の大友氏(高橋紹運・立花道雪)や筑紫氏らの侵攻を警戒する最前線防衛ラインであった。扇山城は、近隣の高石山城や茶臼山城、高の山城などと連動して街道の監視にあたり、敵軍接近時には狼煙や急使により本城へ急報する哨戒任務を担った。天正14年(1586年)の島津軍による筑前侵攻戦の緊迫期を経て、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封と領主層の刷新が行われたことで役目を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

標高160mの山頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、尾根筋からの敵兵侵入を遮断する空堀および堀切遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、高石山城や茶臼山城群と連動した境目山岳要塞ネットワークの出城構造、標高約160mの山頂部から阿恵平野・内野宿・内住川流域および三郡山系の山並みを見晴らす哨戒砦ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(筑穂名物)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(31城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(原田線)筑前内野駅から車・タクシーで約6分、または上穂波駅から車で約8分、阿恵集落西方の林道・山道を経て標高160メートルの山頂部まで登山徒歩約20分(筑前内野駅から約2.5km)

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから国道200号旧道および県道経由で北へ車で約6分、または八木山バイパス 筑穂ICから南へ車で約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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