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100名城・続100名城 -
別称 上臼井日野山城、日野山城跡、日野山砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 123.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏、臼井氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:123.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

日野山城(ひのやまじょう)は、福岡県嘉麻市上臼井(旧嘉穂郡碓井町)の臼井盆地南東縁にそびえる標高約100~110メートル(比高約50~60メートル)の独立丘陵頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の平山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳等に登載されている。遠賀川支流の臼井川流域低地平野部を見下ろす微高地丘陵に占地し、山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って段状削平曲輪が連郭式に配されている。尾根基部からの侵入を遮断する空堀・堀切や切岸加工面、曲輪周縁の土塁痕跡が残存する。近代以降の開墾や山林化により一部改変を受けているものの、嘉穂盆地東南部から山田・大隈・田川方面へと連絡する街道筋や平野部を眼下に扼する前哨要塞の地勢を留めている。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏が嘉穂・嘉麻・穂波郡を掌握する中で、領内東南方面の防衛および交通管制のために配置した支城・物見砦として機能した。地元土豪である臼井氏が在番したと伝えられる。上臼井周辺は、遠賀川上流の平野部から益富城(一夜城)や千手城などの重要拠点群へと至る防衛線の中継点にあたる。東方の豊前勢力(田川方面)や豊後大友氏系諸勢力による侵入を監視・牽制し、本拠・古処山城や益富城の防衛網を補完する役割を担った。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封と領主層の刷新が行われたことで役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

標高約100mの独立丘陵頂部に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、尾根筋からの敵兵侵入を遮断する空堀および堀切遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根に沿って段階状に配された連郭式の段曲輪群、臼井川流域低地平野部および嘉麻・田川方面の街道筋を眼下に抑える要害立地、山頂部から碓井平野・嘉穂盆地・遠賀川上流方面を見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

嘉麻うどん、嘉穂牛ステーキ・焼肉、山田まんじゅう、白木牧場特別牛乳スイーツ、カマシカ肉ジビエ料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(32城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR後藤寺線下鴨生駅から車・タクシーで約12分、または新飯塚駅・飯塚バスターミナルから西鉄バス(西鉄大隈・嘉穂方面行き等)で「上臼井」下車、上臼井集落南東側の山裾農道・山道を経て標高100メートルの丘陵山頂部まで徒歩約10分(下鴨生駅から約5km)

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから国道322号および県道経由で東へ車で約15分、または八木山バイパス 穂波東ICから車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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