コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 白旗城、白旗城跡、相田白旗山城、撃皷山城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 160.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別出城
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏、大友氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:160.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

白旗山城(しらはたやまじょう)は、福岡県飯塚市相田(あいだ)から大字中にかけて広がる標高163メートル(比高約140メートル)の白旗山山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳、城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な段状曲輪が連郭式に配され、曲輪縁辺部には切岸加工面や石垣(石積)遺構、尾根を断ち切る空堀・堀切が残存する。東麓には江戸初期の黒田藩御用窯である白旗山窯跡が隣接し、南麓には撃皷神社が鎮座する。遠賀川西岸の丘陵地帯に位置し、筑豊盆地(飯塚)から鞍手・直方方面へと抜ける街道筋や遠賀川の水陸交通路を一望する軍事的高山要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏が筑前嘉穂・穂波郡から鞍手・宗像方面へ向けて配置した北西防衛ラインの前線拠点・出城として機能した。東方の許斐山城や北方の葛山城、笠木山城(笠置山城)などと連携し、豊後大友氏や宗像氏、遠賀郡を領する麻生氏らの侵攻を警戒・監視する哨戒・迎撃拠点の重責を担った。天正年間における大友・秋月の激しい覇権抗争の中で軍事拠点として維持されたが、天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定および秋月種実の日向高鍋移封に伴い、役割を終えて自然廃城となったと推測される。江戸時代初期にはその麓が黒田藩の御用茶陶・高取焼の生産拠点(白旗山窯)として利用された。

👀 見どころ

標高163mの白旗山山頂に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、主郭周辺の法面等に確認できる石垣(石積)痕跡、尾根筋からの敵兵侵入を遮断する空堀および堀切遺構、尾根に沿って段階状に配された連郭式の曲輪群、山麓に鎮座する撃皷神社や国指定史跡級の白旗山窯跡に連なる歴史的立地環境、山頂部から遠賀川中流域・飯塚市街地・鯰田平野・福智山系を見晴らす山岳要塞ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(飯塚銘品)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(11城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR福北ゆたか線新飯塚駅から西鉄バス(飯塚~直方・毛勝方面行き等)で「相田」または「幸袋」下車徒歩約15分、南東山麓の撃皷神社(げっかしんじゃ)参道または北東山麓林道より尾根道を経て山頂主郭まで登山徒歩約25分(新飯塚駅から約4km)

車でのアクセス

八木山バイパス 穂波東ICから国道201号および国道200号経由で北へ車で約15分、または九州自動車道 八幡ICから南へ車で約25分

駐車場

なし

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る