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100名城・続100名城 -
別称 観音嶽城、福嶽城跡、福岳城、時櫓跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 168.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏、福武氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:168.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

福嶽城(ふくたけじょう)は、福岡県朝倉市長谷山から秋月野鳥にかけての山塊、秋月城(陣屋)の西方にそびえる標高172~175メートル(比高約80メートル)の山頂部から東へ延びる尾根先端部に築かれた戦国時代の山城跡である。「城郭放浪記」等の専門台帳に登載され、「観音嶽城」の別名も伝わる。秋月本城である古処山城の南西山麓、秋月城下町と野鳥川流域を直下に見下ろす尾根突端に占地する。山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って段状削平曲輪が連郭式に配され、尾根基部を遮断する空堀・堀切や急峻な切岸加工面、土塁痕跡が残存する。江戸時代には一国一城令により廃城となったが、秋月城下町に時を告げる鐘を吊るした「時櫓(鐘櫓)」が置かれ、現在主郭跡には宮地嶽神社の社殿が祀られ、時櫓を支えた四隅の石柱跡が残る。

⚔️ 歴史的役割

秋月二十四城(支城網)の一つに数えられ、秋月氏の有力重臣である福武美濃守(福武氏)が城主・城番を務めたと伝えられる。永禄10年(1567年)の休松の戦いをはじめとする大友氏との抗争期において、秋月本城(古処山城)の喉元を直接守備し、秋月谷・城下町への進入路を監視・扼する最前線拠点として極めて重要な軍事的役割を果たした。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定に際し、秋月種実の降伏と日向高鍋移封に伴って城館としての役目を終えた。江戸時代に入ると秋月藩黒田氏の治下で城跡に時櫓(鐘櫓)が移設され、秋月の城下町に時を知らせる行政・生活インフラの拠点として近世にも活用された。

👀 見どころ

標高172mの尾根先端主郭跡(現・宮地嶽神社境内)に残る平坦削平地および切岸急斜面、尾根基部からの侵入を遮断する空堀および堀切遺構、曲輪縁辺部の土塁痕跡、江戸時代に秋月城下の時を告げた時櫓(鐘櫓)を支えた社殿四隅の歴史的石柱遺構、民家脇から神社境内へ続く石段参道、山頂部から秋月城下町・秋月陣屋跡・杉の馬場・野鳥川流域および古処山系を一望する秋月本城直前衛拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

秋月葛料理(葛切り・葛餅)、朝倉蒸し雑煮、甘木川魚料理・川蟹、筑前クロダマル(黒大豆)料理、朝倉和牛・筑穂牛ステーキ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(27城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

甘木鉄道・西鉄甘木線甘木駅から甘木観光バス(秋月方面行き)で「博物館前」または「目取真」下車徒歩約8分、宮地嶽神社参道の石段・山道を経て標高172メートルの山頂主郭(宮地嶽神社境内・時櫓跡)まで徒歩約10分(甘木駅から北へ約6.3km、比高約80m)

車でのアクセス

大分自動車道 甘木ICから国道386号および国道322号(秋月方面)経由で北へ車で約15分、または八木山バイパス 穂波東ICから国道322号経由で南へ約25分

駐車場

有(秋月公営駐車場等利用、有料約100台)

📍 周辺地図

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