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100名城・続100名城 -
別称 米山城、山口米ノ山城、米ノ山取出、米ノ山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 282.3m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別出城
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者高橋鎮種
築城年天正年間(1573~1592年)頃
廃城年天正14年(1586年)
主な城主高橋氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:282.3m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

米ノ山城(こめのやまじょう)は、福岡県飯塚市山口(旧嘉穂郡筑穂町)と筑紫野市の境界に位置する米ノ山峠の東北東約1.5キロメートル、三郡山地・竹の尾山(標高540メートル)から派生した標高約440メートルの半独立峰「米ノ山」山頂部に築かれた戦国時代の山城(出城)跡である。飯塚市遺跡情報システム(遺跡番号504)に登載されている。『筑前国続風土記』に「この城は高橋紹運の取出の城也」と記される。山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な段削平地が連郭状に配され、発掘調査により井戸跡や建物を支えた礎石・柱穴痕跡、幅5.5~11.3メートル・深さ1.6~2.9メートルに及ぶ3条の明瞭な堀切遺構が確認された。筑豊・嘉穂盆地と筑紫平野・太宰府を連絡する古代以来の交通の要衝・米ノ山峠を真上から扼する要害に占地する。

⚔️ 歴史的役割

豊後大友氏の有力重臣で太宰府の宝満山城・岩屋城主であった高橋鎮種(高橋紹運)が、穂波郡・嘉穂盆地方面への最前線戦略拠点・取出(出城)として築城・運用した。戦国期、嘉穂盆地南部は秋月氏が強大な勢力を誇っており、大友氏方の高橋紹運にとって秋月勢力の進出を直接阻止・監視する軍事的最前線であった。米ノ山峠を越えて太宰府・筑紫野方面へ侵攻しようとする秋月軍や島津軍の動向を警戒・迎撃する防衛ラインの要衝を担った。天正14年(1586年)7月の島津軍による岩屋城総攻撃に先立ち、秋月氏や島津方の攻勢に晒され、岩屋城落城と高橋紹運の壮烈な討死に伴い役目を終えて廃城となったと推測される。大友氏と秋月氏の死闘を物語る緊迫の国境山岳要塞である。

👀 見どころ

主郭尾根筋を峻厳に遮断する大規模な3条の堀切遺構(発掘調査確認)、山頂主郭部の平坦削平地および周囲に造成された急峻な切岸斜面、調査時に検出された城内井戸跡や建物遺構跡、三郡山地・竹の尾山から延びる山岳稜線と米ノ山峠を直下に押さえる天然の要害地形、標高約440mの山頂部から飯塚・穂波平野および筑前・筑後・肥前を繋ぐ峠道を見渡す最前線砦ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(筑穂名物)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、筑紫野ご当地スイーツ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(26城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(原田線)筑前内野駅から県道65号(筑紫野筑穂線・旧米ノ山峠方面)経由で車で約10分、山口集落奥の林道・登山道を経て山頂主郭まで登山道徒歩約40分(または筑前内野駅から徒歩約70分)

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから県道65号経由で北西へ車で約12分、または九州自動車道 筑紫野ICから米ノ山峠経由で車で約25分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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