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100名城・続100名城 -
別称 大平山城、嘉穂長谷山城、才田長谷山城、長谷山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 311m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者大内盛見
築城年室町時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主大内氏、高橋氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:311m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

長谷山城(はせやまじょう)は、福岡県嘉麻市嘉穂才田(旧嘉穂郡嘉穂町)の千手川と泉河内川に挟まれた標高311.2メートル(比高約220メートル)の長谷山(大平山)山頂部および尾根筋に築かれた室町・戦国時代の拠点山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や城郭放浪記等の専門台帳に登載されている。山頂の主郭を中心に東西に延びる尾根筋に曲輪が連郭状に配されている。主郭東側尾根には低土塁の外側に二重堀切が掘削され、その堀切は竪堀となって北側斜面へ落ち、さらにその先にも二重堀切が穿たれる。西側尾根にも三条の堀切が連続し、北に大手・南に搦手を備えていたとされる。嘉穂盆地南部と朝倉・日田方面を結ぶ交通路や益富城周辺を一望する天険の要害に占地する。

⚔️ 歴史的役割

室町時代に周防の大名・大内盛見が筑前進出の拠点として築城し、城主として高橋盛綱を配置したと伝えられる。その後、戦国期には古処山城を本拠とする戦国大名・秋月氏の有力な支城となり、「秋月二十四城」の一つに数えられた。嘉穂盆地南部から秋月本拠地(朝倉郡)へと至る東南防衛ラインの要衝を占め、近隣の千手城や益富城(一夜城)などと緊密に連携して豊後大友氏や毛利氏らの動向を監視・迎撃する任務を担った。天正14年(1586年)から天正15年にかけての豊臣秀吉による九州平定において、秋月氏が秀吉軍に降伏し日向高鍋へ移封されたことに伴い、役割を終えて廃城となった。

👀 見どころ

標高311mの長谷山山頂主郭に残る東端・西端の低土塁遺構、主郭東尾根に穿たれ北側斜面へと落ちる豪快な二重堀切と竪堀遺構、東尾根先をさらに遮断するもう一箇所の二重堀切、西側尾根に連続して配置された三条の堀切群、尾根地形を活かした連郭式の削平曲輪と急峻な切岸加工面、山頂部から益富城跡・嘉穂盆地・遠賀川上流平野・古処山系を見渡す山岳拠点城郭ならではの圧倒的パノラマ眺望景観

🍲 ご当地グルメ

嘉麻うどん、嘉穂牛ステーキ・焼肉、山田まんじゅう、白木牧場特別牛乳スイーツ、カマシカ肉ジビエ料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(37城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR後藤寺線下鴨生駅から車・タクシーで約20分、または飯塚バスターミナルから西鉄バス(西鉄大隈方面行き)で「西鉄大隈」下車、嘉穂才田・大平山方面行きコミュニティバスまたはタクシーで約10分、才田地区登山口より山道を経て山頂主郭まで登山徒歩約40分(比高約220m)

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから国道322号および県道67号経由で東へ車で約20分、または八木山バイパス 穂波東ICから車で約25分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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